FeverStory

無能と追放された鑑定士が辺境の村で薬草の真の等級を見抜き、静かに暮らしていたら元仲間が自滅した件

第5話 来年の帳尻

朝の光が集会場の窓から差し込むより早く、ヴェルナーの馬車は村の入口に着いていた。蹄鉄が石畳を叩く硬質な音が、まだ眠りの中にあるリンデ村の空気を震わせる。冷えきった早朝の風が、御者台の男の外套をはためかせていた。

ユウトは集会場の卓に薬草サンプルの袋を置き、エレナとゲルハルトと共に待つ。古い木材の匂いがかすかに残る室内には、三人分の緊張が張りつめていた。エレナは指先で何度もスカートの折り目を撫で、ゲルハルトは無言で自分の手の甲を見つめている。戸が開き、黒い外套の男が入ってきた。手には分厚い帳簿。後ろには二人の随行員。外套の裾からは、外の冷たい空気が流れ込んでくる。

「リンデ村、今年の税を規定通り徴収する」

ヴェルナーは帳簿を開き、卓の上に広げた。紙の擦れる音が、やけに大きく響く。

「薬草の取引実績も確認済みだ。月光草——等級九で王都に出荷しているな。税額は昨年の収穫高から算出した規定額。減免の余地はない」

数字の羅列を指でなぞりながら、ヴェルナーの声は機械的に響いた。

エレナが一歩前に出る。背筋が伸びていた。拳を握りしめた指先は白くなっている。

「不作の年です。税率の据え置きを求めます」

「取引実績が安定している以上——」

「その取引実績が、今年の収穫を正確に反映しているとは限らない」

エレナの声は静かだが、迷いがなかった。朝の光が窓から斜めに差し込み、彼女の横顔を照らし出す。ヴェルナーの眉がわずかに動く。帳簿を閉じかけていた手が止まった。

「どういう意味だ」

ユウトが麻布の包みを卓に置いた。乾いた布の擦れる音が、沈黙を裂く。

「今年の収穫は、品質に大きなばらつきがあった」

包みを開く。中から出てきたのは、事前に選別した等級六の月光草。葉の銀線は細く、光沢も乏しい。ヴェルナーはサンプルを手に取り、裏返し、しばらく検めた。窓の光にかざし、葉脈の細さをじっと見極める。

「……これは」

「不作の年に、高品質の品が安定して採れるとは限らない」

ユウトの声は淡々としていた。事実を積み重ねるだけの口調。

「昨年の実績だけで判断されると、村は持たない」

ヴェルナーはサンプルを卓に戻し、表情を曇らせた。帳簿の数字と、目の前の薬草の差。計算が狂ったことを、あの眉間の皺が物語っている。指先で何度か卓を叩き、それから顎に手を当てた。随行員の一人が帳簿を覗き込もうとして、やめた。

ゲルハルトが深く息を吸い、口を開いた。喉仏が上下する。

「村は長年、税の支払いに苦しんできた」

皺だらけの手が、卓の縁を掴む。指の関節が白く浮き出ていた。

「せめて今回だけは据え置きを。不作は事実だ。薬草の質が落ちているのも、あんたの目で確かめた通りだ」

ヴェルナーは黙って帳簿を閉じ、それから顔を上げた。ため息がひとつ、卓の上に落ちる。

「……わかった。今年は据え置きとする」

エレナが小さく息を呑む。握りしめていた拳から、ようやく力が抜けた。ゲルハルトは卓から手を離し、深く息を吐いた。肩の荷が下りた老人の横顔に、朝日が当たっている。

「ただし——」

ヴェルナーの目が三人を順に見据える。茶色の瞳には、まだ計算の色が残っていた。

「来年は規定通りの税額を見込む。取引実績がどうであれ、これ以上の減免はありえん」

ユウトは静かにうなずいた。情報戦は通った。真の生産力を秘匿したまま、村はこの年を越えられる。胸の内で、数字の帳尻を静かに確認する。

ゲルハルトが用意していた税の袋を差し出す。ヴェルナーは金貨を数え、帳簿に記録し、そして去っていった。扉が閉まり、足音が遠ざかる。馬車の音が遠ざかるまで、三人は集会場の卓を囲んで立っていた。誰も口を開かない。ただ、それぞれの呼吸だけが室内に満ちている。

「……終わったな」

ゲルハルトの声は掠れていた。椅子に腰を下ろし、両手で顔を覆う。

夕刻。

集会場には村中の人間が集まっていた。長卓には焼きたてのパンと、普段より多めの塩漬け肉、それに各家庭が持ち寄った壺酒が並んでいる。パンの酵母の香りと、燻製肉の煙たい匂いが混ざり合い、天井の梁に染みついた長年の煤の匂いまでも覆い隠していた。

ゲルハルトが杯を掲げた。濁り酒の表面に、灯火が揺れて映る。

「今年は——皆が年を越せる」

村人たちの歓声が天井の梁まで響く。誰かが杯を掲げ返し、別の誰かが笑い声を上げる。子供たちはパンを齧り、老人たちは壺酒を酌み交わしていた。鍛冶屋の大男が陽気な歌を歌い出し、それに合わせて数人が手拍子を打つ。日常の苦労を一時忘れたような、弛緩した熱気が室内を満たしていた。

エレナはユウトの隣に座り、自分の杯を両手で包み込んでいた。指先で木製の杯の縁をなぞっている。

「あなたのおかげだ」

声は祝宴の喧騒にかき消されそうなほど小さい。それでも、ユウトの耳にははっきりと届いていた。

ユウトは杯を見つめたまま、

「村の人間が動いたからだ」

「そういうことにしておくわ」

エレナは口元を緩め、それから杯を口に運んだ。酒の酸味が喉を通り、体の奥がかすかに熱くなる。

祝宴が進み、酒が回った頃合いを見計らって、ゲルハルトがユウトの向かいに腰を下ろした。手には自分の杯。中の酒はもう半分以下になっている。

「王都から来た商人が話していた」

ユウトは顔を上げない。指先が杯を回すのを、ただ見つめている。

「借金を重ねた冒険者が、依頼先で全滅したそうだ。ギルドの名は——」

「銀翼、か」

ユウトの声は平坦だった。杯の中の酒が、かすかに揺れる。水面に映った自分の顔が、歪んで見えた。

ゲルハルトはそれ以上は言わず、ただ杯を掲げた。

「……もう、虚偽の報告はせずに済む」

その声は、祝宴の喧騒に混じって消えた。ユウトは何も言わず、杯を見つめていた。そして静かに、酒を一口含んだ。冷えた液体が喉を落ちていく。

夜も更け、村人たちがそれぞれの家へ戻り始めた頃。酔いつぶれた鍛冶屋を仲間が引きずっていく笑い声が、戸口から遠ざかっていく。

エレナが集会場の隅で、使い込まれたノートを開いていた。ユウトが近づくと、彼女は顔を上げる。灯火が紙面の上で揺れ、書き込まれた文字を照らし出していた。

「来春の作付け計画を、一緒に考えてほしい」

ノートのページには、畑の区画と、作物の候補が几帳面な字で書き込まれている。インクの掠れた箇所もあれば、何度も書き直した跡もあった。

「土壌の品質を鑑定できるのは、あんただけだ」

ユウトはしばらくノートを見下ろし、それから小さく息を吐いた。灯火が、彼の横顔に影を落とす。

「ああ、やろう」

エレナの顔に、笑みが広がる。それを見ていたゲルハルトは、何も言わずに微笑み、自分の杯を傾けた。老人の目尻に、深い皺が刻まれる。

祝宴の喧騒が完全に静まった深夜。

ユウトは集会場の外に出ていた。空には星が散らばり、畑の向こうから夜風が草の匂いを運んでくる。湿った土の匂いと、どこかで咲いている野花の甘い香りが混ざっていた。昼間の熱気はすっかり消え、冷たい空気が肌に心地よい。

隣に、足音が止まった。

エレナだ。彼女は何も言わず、ユウトの隣に立って同じ空を見上げた。肩にかけたショールの端が、風に揺れている。二人の影が、月明かりの下でひとつに重なった。

「来年も、その先も、ここで」

小さな呟きが、夜の空気に溶ける。

ユウトは空を見上げたまま、短く応じた。

「ああ」

星が一つ、西の山の端へと落ちていく。一筋の光が尾を引き、闇の中に消えた。二人はそれ以上何も言わず、夜が更けるまで、ただ同じ空を見上げていた。風が止み、あたりに静寂が満ちる。畑の向こうで、虫の音だけが規則的に響いていた。

無能と追放された鑑定士が辺境の村で薬草の真の等級を見抜き、静かに暮らしていたら元仲間が自滅した件第5話 来年の帳尻