FeverStory

断罪死した公爵令嬢が十年前に戻り、氷の辺境伯と契約結婚をして冤罪を塗り替える

第12話 判決の朝、氷が血に変わる

判決は、三日後の朝に下された。

王都最高裁判所の大法廷は、開廷前から傍聴人の熱でむっとしていた。天窓から射し込む朝光が、石床の水分を蒸発させて、首筋に薄い汗を張らせる。リゼリアは指の腹で黒い指輪を回し、左のこめかみに走る微かな熱へ意識を向けた。痛みではない。灼痕が、判決文の朗読を待つ間だけ、拍動に合わせて温んでいた。

ベネディクト・ラウエン判事が木槌を打つ。低い音が、ざわめきを端から押し潰した。

「被告人リゼリア・フォン・ヴェルンハルトに対する反逆罪の訴えは、証拠不十分と認める。真実の塩に誓いし三名の証言、押収された毒瓶偽造記録、教会署名の呪い起源記録。以上により、被告人は無罪とする」

傍聴席の空気が、一瞬、裂けるように高まった。リゼリアは背筋を伸ばしたまま、判事の痩せた手元を見る。ベネディクトは視線を落とさず、次の文面へ進んだ。

「ヴェルンハルト公爵家の爵位停止処分を取り消し、家名の復権を認める。ルイス・フォン・ヴェルンハルトに対する王立学園退学処分もまた、本判決をもって無効とする」

ざわり、と傍聴席の熱が肌に届く。リゼリアは指先を軽く開いて、もう一度握り直した。指の間を通る空気が、やけに冷たく感じた。隣に立つアルノートの側からの冷気だ。彼の体温は、まだ完全には戻っていない。けれど、あの日のように骨まで凍る気配はなかった。

「王太子ユリウス・レーゲンハルトは、毒瓶を偽造し、聖女セレスティーヌと共謀して王国の司法を害した。王太子位剥奪を命じる」

ユリウスが、被告席で面を上げる。唇が動く前に、ベネディクトの声が重なった。

「セレスティーヌ・エルミナは、聖女の資格を乱用し、闇魔法性の毒をもって人を害した。聖女位を剥奪し、拘束を延長する。抗弁があれば、退廷の後に認める」

「判事」

ユリウスの声には、まだ滑りがあった。

「私の位を剥奪できるのは、王宮会議と父王の承認のみだ。裁判所ごときが越権を——」

「越権は、貴公のほうだ」

ベネディクトは木槌を持ち上げた。手に汗をかいていたのか、柄が小さく軋む。

「王太子令を偽装した時点で、貴公は裁かれる側に回った。退廷させよ」

衛兵が二人、ユリウスの両腕を取って立たせた。セレスティーヌは何も言わず、白い喉を引いた。護送官の腕に体重を預けながら、自分の足で歩けない振りをしている。あの指先が、もう聖印に触れることはない。リゼリアは短剣を袖の中で押さえたまま、二人が横を通り過ぎるのを目で追った。

ユリウスが、半歩だけ足を止める。

「お前の熱で、どれだけ持つと思っている?」

「退廷の途中です。お引き取りを」

リゼリアは、そっと顎を引いた。ユリウスは笑うでもなく、衛兵に腕を引かれて中央通路を消えた。

書記官が、羊皮紙を乗せた盆を彼女の前へ差し出す。ベネディクトは判決文へ最後の署名を施し、黒い封蝋を滴らせた。

「復権証書と、ルイス殿の復学証明の原本だ。受け取られよ」

リゼリアは書類を受け取った。羊皮紙の端が、指先に残っていた汗を吸う。ひんやりとして、硬い。世界が、ほんの少しだけ前へ動く手応えがした。

傍聴席後方の石柱の影で、ルイスがわずかに身を乗り出している。軟禁の名残か、顔の輪郭が細い。けれど目は、リゼリアをまっすぐに捉えていた。

リゼリアは傍聴席後方へ回り、ルイスの手へ復学証明と研究員推薦状を重ねて置いた。研究員推薦状は、ベネディクトの署名が入った正式な書式だ。古代魔法史の検証は、王立学園研究員の名義がなければ教会の記録庫へ入れない。

「行って、自分の目で確かめなさい。私の言葉より、原本が真実を語るから」

「姉上」

ルイスは書類を胸へ抱いた。指先が、紙の端を取り落としそうに震えている。

「僕は、記録を検証する側に立つ。誰かを信じるんじゃなく、証拠を追う。それが、ヴェルンハルトの名を背負うってことなら」

「上等。学園は、お前の舌先三寸で生き延びられる場所よ」

ルイスが、ようやく笑った。唇を結び、何か言いたそうに目を伏せて、それから背を向ける。傍聴席脇の扉が開く。王立学園へ向かう湿った朝の空気が、一筋だけ石廊下から流れ込んできた。

マルタ・ハインツが、彼女の左手側へ歩み寄る。外套の懐には、王都教会署名の呪い起源記録原本を収めた筒がそのまま見えていた。

「薬師会へ提出する報告書の清書が済んだ。署名をもらう」

マルタは折り畳んだ報告書を広げ、署名欄を爪で軽く弾いた。リゼリアは、ルイスが持って行かなかった万年筆の位置を見て、腰の帯に挟んでおいた携帯用の羽根筆を取り出した。インク壺も、マルタが手早く蓋を開けたものだ。

「ここで良い?」

「ああ。どちらも原本だ。後で写しを取って、お前たちの控えにする」

リゼリアは署名を終え、マルタの指が続く。二人分の名が並ぶと、マルタは報告書をくるくると巻き、用意していた薄い油紙で包んだ。蜜蝋を溶かし、紐を回して封を施す。押したのは、マルタ個人の古い薬師印章だ。

「薬師会が、この中身を握りつぶすかもしれん」

マルタは顔を上げずに言った。

「薬師会が押し黙ったら、記録の写しを北の領民へ開く。毒は、王都だけの問題じゃない。辺境の井戸にまで届く代物だったんだ」

リゼリアは、施封された報告書を受け取る。油紙の表面が、まだ蝋の熱でほんのり温かかった。その温かさが、自分の指先に溶ける。彼女は判決文の場へ、一瞬だけ目を戻した。

アルノートが、判事席の横に置かれたままの押収証拠箱の傍らに立っている。霜は消えていた。

朝光の中で、彼の影だけがまだ濃い。

証拠保管室の空気は、廊下より一段冷えていた。リゼリアは袖の下で短剣の重みを確かめ、それから執務机の向こうに立つ保管官の顔を見る。中年の男は裁判所長の執行令を二度読み、ようやく壁の金庫を開けた。

「返還は、この場で。開封確認ののち署名を」

保管官が差し出した木箱を受け取り、リゼリアは鍵を回した。中に黒い保管容器がある。血の誓約書原本。法廷に証拠として留められていたものが、無罪判決の確定とともに彼女の手へ戻る。

「開けます」

リゼリアが容器の留め具を外す。マルタが横から覗き込み、アルノートが半歩後ろに立った。誓約書は二つ折りの羊皮紙で、表面に白く霜が浮いている。

マルタが小さく息を呑んだ。

「これは……青白い氷の光です。以前、教会の記録で見た呪いの反応と同じ色をしている」

「触れても?」

リゼリアがアルノートを振り返る。彼は頷く代わりに、右手の指を羊皮紙へ伸ばした。リゼリアも左手を添える。二人の指先が誓約書の上で並んだ瞬間、青白い光が紙の繊維に沿って走り、真名の文字が浮かび上がった。

文字が変わる。氷の色が、静かに赤へ滲んだ。

リゼリアは指を引こうとして、やめた。熱い。灼痕ではなく、誓約書そのものが脈を打っている。隣でアルノートが左掌を裏返した。霜斑が、消える。

「アルノート、左手を見せて」

「ああ」

彼の掌は赤みを帯び、血の通った色をしていた。マルタが羽根筆を走らせる。

「氷の呪い痕、完全消失。観察記録として残します。真名の輝きが赤へ転じたのも、同時刻の変化です」

リゼリアは保管容器ごと誓約書を持ち上げた。光はもう暴れていない。紙に血の名が、静かに並んでいた。

「容器ごと、お預かりします」

保管官が返還簿へ署名を求めた。リゼリアが一画ずつ、ゆっくり名を書く。アルノートは筆を取らず、左掌をもう一度開いてから報告書の束へ目をやった。

大法廷横の執務室には、西日が差し込んでいた。部屋の隅では、ユリウスとセレスティーヌがそれぞれ別の衛兵に腕を押さえられている。二人とも口を開かず、床の一点を見ていた。

執行官がリゼリアへ書類の山を差し出す。

「北部結界安定化の報告書、末尾の署名がまだです。どなたが?」

「私が」

アルノートがペンを取った。結界の安定値を示す観察記録と呪い消失の数値が並ぶ。彼はそれを通読し、迷いなく名を入れた。

リゼリアは既に用意していた追加令を机の上へ置いた。

「北部へ薬師と技術者を送る追加支援令です。裁判所の捺印を」

「受理します」

事務官が書類を検め、執行官が目を通してから署名台へ回す。ユリウスが顔を上げ、喉の奥で笑う気配があった。

「辺境へ逃げる支度か、魔女」

リゼリアは彼を見ないまま答えた。

「王都西拘束塔へご出発ですね。道中、お体を冷やさないよう」

セレスティーヌが枷の下で身をよじった。聖女位を剥奪された白い衣は塵で汚れ、胸元の火傷痕が赤く腫れている。執行官は二人の隊列を確認し、護送令を鞄に収めた。

「王都西拘束塔への護送、確かに執行いたします。判決文の副本は最終捺印後、明朝までに」

「よろしくお願いします」

リゼリアは復権証書の原本を筒から出して、もう一度だけ丸まった紙を伸ばした。ヴェルンハルトの家名が、判事署名とともに紙面に戻っている。彼女はそれを元の筒へしまい、マルタへ向き直った。

「マルタ、薬師会への報告はあなたしかいません」

「ええ、この観察記録が教会の禁忌を断つ証左になる。必ず提出します」

マルタが鞄に誓約書観察記録を滑り込ませる。ルイスは傍聴席後方で復学証書と研究員推薦状を胸に当て、一礼して王立学園へ向かうところだった。リゼリアは弟の後ろ姿を一瞬だけ目で追い、それから執務室を後にした。

回廊には夜風が通っていた。大法廷の喧騒はもう遠く、人払いされた石床に影が伸びる。

アルノートが歩調を緩め、リゼリアの手首を取った。

「契約の期限が、どうなったか分かるか」

「ええ。取り戻したのではなく、変わったのね。契約婚という枠が、もう枠にならない」

リゼリアが答えると、彼の指が彼女の指の間へ入り込んだ。誓約書の熱が、まだ二人の指先に残っている。

アルノートが口を開いた。

「お前を、条件で縛る気はない。それでも、隣にいることを選ぶ」

リゼリアは指を絡めて握り返した。契約の文言でも、家の義務でもない形を確かめるように。

「私も、選び直したわ。偽りの契約から、共犯者として」

彼の左掌には霜斑がなく、月明かりの下で静かに温かい。リゼリアは保管容器を左腕に抱えたまま、彼の指を離さなかった。

「ええ、私たちの家へ帰りましょう」

彼女が笑う。目元の緊張がほどけて、左のこめかみの灼痕が淡く熱を失った。

アルノートは短く応えた。

「北の空は遠いぞ」

二人は夜風の吹く回廊から、北の空を見上げた。

断罪死した公爵令嬢が十年前に戻り、氷の辺境伯と契約結婚をして冤罪を塗り替える第12話 判決の朝、氷が血に変わる