ギルドを追放された鑑定士、誰も読めない古代文字を解読し最強遺物を起動する
第5話 虚言を量る天秤
審問の円塔の石段には、まだ五人分の足音が残っていた。
王都へ入って五日目。公開審査は予告より半刻早く開かれる。リュートは包帯を巻いた右手を見下ろし、左の指先で締め直した。傷は塞がりかけている。視界の白濁も薄れてきたが、右目だけは像が二重に滲む。
「無理はするなよ」
ガイルが半歩後ろで短く言う。
「無理をしない審査などない」
リュートは前を見た。円塔の観察席には三都市の代表旗が並び、灰甲冑の守護者が入り口の脇に立っている。あの日から、守護者はリュートたちが旧都を出るまで前室に留まり、今は王都まで随行していた。
円塔の中へ入ると、冷えた空気が肌を刺す。中央の台には、あの石環が置かれている。差し押さえられ、運び込まれた台座が、今は正式な審問の場に据えられていた。
オルトは最前列に座っていた。両脇にギルドの腕章をつけた男が二人、しかし拘束はされていない。イリスが中央へ歩み出る。
「審査は公開します。全員、着席を」
声が円塔に通る。リュートは証言席へ、ミラは隣の証人席へ座った。エルナは第二列で胸元の鍵を握りしめている。
イリスが令状を掲げた。
「旧都地下墳墓にて鑑定士ギルド支部長オルト・クレーマンが、追放処分を受けたリュート・ヴァイスを再犯の違法鑑定として即時拘束を求めた。これに対し、証拠の照合を行う」
オルトが立ち上がりかける。
「当然だ。追放者は二度も遺物に触れた。同じ罪を重ねたなら拘束は必須だろう」
「順番があります」
イリスは冷たく制した。
「先に、追放処分そのものが有効だったかを確認します。ミラ・シュトル、複製帳簿を」
ミラが写本係の手つきで革表紙を開く。
「これは、ハイデマン研究邸の閲覧室で保存されていたギルド帳簿の複写です。追放処分の頁まで、一字の誤りもありません」
イリスが受け取り、公式記録と左右に並べる。観察席のざわめきが一瞬で消えた。
リュートは自分の写しを台の右端へ置いた。
「三都市連名承認の欄が、無記名のまま二重の斜線で消してある。追加承認ではなく帳簿の改ざんだ」
「でたらめだ!」
オルトが声を張り上げた。
「そんなものは後から作った複製だろう。原本すらない紙切れで私を弾劾する気か」
「原本はあります」
ミラは顔を上げた。
「ギルドの書庫でなく、保管所の旧帳簿棚から写しました。奥付の日付は、この追放処分が下される前です」
「写本係の分際で、勝手なことを」
「私の仕事です。帳簿を写すのが」
はっきりした声だった。オルトの口が一瞬、歪む。
イリスが緑色の認証札を帳簿の綴じ目に押し当てた。
「本証拠を受理します。公式記録と複製の文面を、虚偽検証の場へ移します」
「待て、その検証に私は従わない。怪しい写しを真実扱いされたら、支部長の信用に関わる」
「信用を問われるのは、斜線を引いた者です」
イリスが視線を動かした。
「昨晩、あなたの退去後に採られた決議です。三都市連名で承認された。拒否権はない」
オルトは喉を鳴らし、外套の前を握った。指の先が何かを探るように、下に隠した箱の輪郭をなぞっている。リュートの右目がその動きを捉えた。
「……いいだろう」
オルトがゆっくりと立ち上がる。声の熱が不自然に落ちた。
「検証をしてやる。ただし、真贋をはっきりさせるには、より確かな器具が要る。ちょうど持ち込んである」
外套が開かれた。黒い石の天秤、中央に銀の文字盤。左右の皿は空だ。
観察席が再び騒いだ。守護者が一歩前へ出る。
「封印遺物は公開審問の許可品にない。動かすな」
イリスの声に、初めて剣呑さが滲む。
「下がりなさい、オルト・クレーマン。これは命令です」
「素人が審問で仕切るから、真実が腐る。この天秤は、偽った言葉にだけ傾く。優れ物だ」
オルトは止まらない。左手が文字盤の縁をなぞり、途切れ途切れの音が漏れた。神代文字の起動節だ。意味をなさない音の並び。
まともに読めていない。リュートは立ち上がった。
「お前には使えない。その起動は二音ずれている」
天秤の文字盤が震え、皿が左右に揺れる。搭に満ちた光が、明滅を始めた。
「黙れ! 神代文字は私が読む!」
オルトの指が、最後の一文をなぞった。文字盤から黒い亀裂が走る。
「まずい。全員、伏せろ」
リュートはガイルを突き飛ばし、台座へ踏み出した。右目の滲む視界の中、天秤の文字盤に燃える文字が見える。さっきまで隠れていた真の綴りが、起動の反動で浮かび上がった。
手を伸ばす。右手の包帯に血が滲む。
「違う。返却の節からだ」
リュートは五つの音を並べた。低く、しかし一度で区切る。天秤が急に静止し、光が白から金へ変わった。
銀の文字盤が独りでに回る。空のはずの右皿の上へ、小さな帳面が現れた。開いた頁に、二重の斜線が浮かぶ。次に左皿へは、ギルドの公式記録が投影され、黒く塗られた文字の下から元の文面が透けた。
「これは……追放処分の票決なし、ただの支部長印一つ……」
観察席から三都市代表の一人が呟く。
「改ざんだ」
天秤が声を出した。誰の声でもない、金属の響きが円塔に満ちる。
「記録を消したのは、この男」
天秤の支点から照らされた光が、オルトの両手を白く染める。オルトが悲鳴のように否定しようとした。
「偽物だ! 貴様の言葉で動かしただけだ!」
「この天秤は、俺の音じゃないと起動しない紋様だった。お前の起動節では皿が割れるだけだ」
リュートは血の滲む手を台に押し付けた。
「ここまでして、まだ結束したいか。記録の斜線は、三都市の承認を偽装する足りない頭で消した、お前の跡だ」
「証明しろ!」
「済んだ。この皿の上でな」
オルトが天秤を奪おうと飛びかかった。灰甲冑の守護者が横から腕を差し入れ、胴を抱えて台へ押さえつける。天秤は静かに回り、帳面と投影が床へ消えた。
「オルト・クレーマン。記録改ざん、偽証、封印遺物の無断使用」
イリスが、薄翠の冊子を胸の高さへ上げる。
「現行で拘束する。天秤は証拠品として、守護者が預かる。兵を」
両開きの扉が開き、四人の兵がオルトを囲む。腕が後ろへ捻り上げられた。
「離せ……離せ! この天秤の真の価値は私にしか――」
「あるなら、審問の後に言え」
リュートの声は低く、円塔の石壁を這った。
オルトの身体は、兵たちに押し出されていく。外套が破れ、箱を潜めた内側から黒い粉がこぼれた。残されたのは、静かな観察席と、揺れの止まった天秤だけだ。
イリスが採決を宣言した。
「三都市の連名により、ミラ・シュトルの複製帳簿を正本と認めます。よって追放処分の基となった承認は当初より不存在。リュート・ヴァイスへの追放は、記録のうえで無効とし、本条を取り消す」
巻紙が広げられ、いちばん下に三つの印が並んでいて、代わりに場所だけが赤い。イリスの杖の先がその欄に触れると、印影が一つずつ浮かんだ。
「リュート・ヴァイスには、特別鑑定士の資格と、王都旧館の研究所の使用権を交付します。管理責任者として、鍵を受け取りなさい」
小さな青銅の鍵が、白い布に載せて差し出された。
リュートは左の手で受け取った。血の滲んだ右手は台に下ろしたまま、観察席を見上げる。エルナが胸元の鍵越しに、深く息を吐いたのが見える。
「追放処分は、三都市の名で取り消された。ここが俺の実験室だ」
リュートは翌朝、王都旧館の地下研究机の上に、三つの承認印を並べ直した。青銅の鍵は中央に置いたままだ。
窓から斜めの朝日が差し、印影の窪みを白く映す。
「ずいぶん静かな幕引きね」
エルナが机の端に、冷めた茶を二つ置いた。
「あの天秤は、もう守護者の保管室。追放が消えただけで、まだ空墓は開いていない」
「中に入らない方がいい。入口だけでも、あれは壊し屋が来る。共同責任者に指名しておいて、いつまで独り言だ」
リュートは半歩だけ、窓際へ寄った。
「断るか」
「受ける。ただし古い館の修繕費は、あなたの口座から」
「仕事を取ってから言え」
「先に取ってきたわ。港の貴族から、古い航海図の解読依頼。私設だから罪に問われない」
エルナの胸元で、空墓の鍵が淡く光を返した。以前のような硬い共鳴ではなく、机に並んだ印影へ、一瞬だけ色を添える。それが終わり、鍵は重みを失ったように揺れた。
扉が三度、規則的に叩かれた。
「ガイルだ。姉さんが言うには、呪具をどうしても今日中に見てほしいそうだ」
入り口に立つガイルは、包みの布を胸に抱えていた。薄い手首が、窓の光の向こうで震えている。
「護衛料の前借りはもう済んでる。これ一本、解読でいい」
リュートは机の印を脇へ寄せ、包みを受け取った。
「開ける。姉には呪いの返る場所以下、何も言うな」
「わかってる」
ガイルが横に立った。布を開くと、黒ずんだ小さな首飾りが現れる。石のひとつひとつに、古い文字が刻まれている。リュートは右目の滲む視界のなかで、文字盤と遺物を交互に見た。指先が次第に熱を持つ。
「呪いの返還節だ。元の遺物と対になる。読むぞ」
音が、数えて七つ。言い終える前に手の甲の傷が開き、包帯の上へ血が滲んだ。首飾りが音もなく砕け、石から黒い煤が舞い上がる。煙は窓から出ていき、城下のどこかへ消えた。
ガイルはそっと、首飾りの欠片を拾い集めた。
「姉さんがちゃんと動くようになった、って妹から伝言だ。……すまない、これがようやく言える」
「代償はもう始まっている。心配いらない」
リュートは右目を閉じたまま、机の抽斗へ手を伸ばした。袋を二つ取り出し、大きい方をガイルへ、硬い方をミラへ滑らせる。
「治療費と護衛の続行分。足りない分は次で払う」
「情報屋みたいな商売は、貴族の弱みと紙一重だからね」
ミラが柱の影から出てきて、硬い袋を一瞬持った。
「これで買い戻すの。閲覧室の私の席。案外、高くつくんだから」
「知ってる」
リュートは返し、机に残した特別鑑定士証書を左で開いた。名前の横にある資格等級は、まだ新しい字だ。
「今日から、港の航海図を見る。エルナ、お前が依頼主と時間を決めろ」
「ええ。もっとも、あ、あなたの右目がもう保たなくなっても、私は代わりに読めない」
「保つ。保たせて見せる」
リュートは青銅の鍵を握った。指の隙間から光が漏れないように、静かに机上へ戻す。三つの承認印は、窓辺の風で紙端をわずかに、朝のほうへそらせた。
「追放処分は、三都市の名で取り消された。ここが俺の実験室だ」
誰の耳にも、今度は宣言に聞こえた。
エルナの胸元の鍵が、最後に小さく鳴って、沈んだ。