FeverStory

外れスキル『翻訳』で魔物と会話できた俺が、伝説級と契約して大陸最強に成り上がる

第8話 盟約の名を抱いて

門の奥で、咆哮が途切れた。

沈黙回廊の空気が、一瞬だけ薄くなる。ソーマは半開きの門の前に立つ。ガルドとリュカが左右で身構え、背後のエルナとピケは柱の影からこちらを見ていた。最下層の闇が、門の隙間から音もなく溢れてくる。

「四つ目だ」

ソーマが言う。声は低く、回廊に短く響いた。

「偽の命令が三つを超えてる。怒りの咆哮に見えるが、あれは契約破棄の前兆だ」

「暴走するのか」

ガルドが剣を握り直す。

「する。もう始まってる」

門の内側で、巨大な影が身じろぎした。光のない眼が、細く開く。

ザルムが術式円の外から叫ぶ。

「黙れ! 原初の語り部は、我らの声に従う」

「従ってない。お前の四つ目で、契約が千切れかけてる」

ソーマは腰のスレートに手をやった。真名文字が応えるように白く光り、指先が熱い。

「聞こえるか、ハルマティア」

闇の奥で、呼吸が止まる。

「我が名を、呼んだな」

声は門の向こうからではなく、回廊の石そのものを震わせて届いた。重い。しかし先ほどの咆哮とは違い、輪郭がある。

「呼んだ。取引がしたい」

「取引、だと」

「お前を縛る偽の名を、俺が断つ。代わりに、俺と対等の盟約を結べ」

リュカが小さく唸った。ガルドは止めず、半歩だけ前に出る。ソーマは構わず続ける。

「ただし、条件がある。命令は数えない。互いの真名を返す自由を、最初から入れる」

ハルマティアの沈黙が、回廊を冷やした。

「人間は、真名を返せるか」

「返すために契約を結ぶんだ。命令が三つまでなら、三つとも使わなければ破棄はない」

「命令を、捨てられるか」

ソーマは左手の魔核片を外し、足元の石に置いた。

「捨てた」

リュカが目を見開く。ガルドが「正気か」とでも言いたげに眉を寄せた。しかしソーマは視線を門から外さない。

「これが俺の返答だ。お前が偽命令を断ち、地脈を鎮めるなら、俺はこの力を頼らない」

門の奥で、くぐもった振動が走った。石と石が擦れる音がして、半開きの扉がさらに二十セントほど開く。闇の中から、白く細いものが一本、伸びてきた。鉤爪だ。それが魔核片の置かれた床に、触れるか触れないかで止まる。

「……盟約を、結ぼう」

声が、回廊全体に響く。偽の命令連鎖の音が、硝子が割れるように散った。

術式円の外で、悲鳴が上がる。

「な、何を——」

ザルムが杖を振り上げた。黒い砂が巻き上がるが、門から流れた光がすぐに灼き消す。ネルガは短剣を拾おうとして、膝を突いた。オルベリオの手元で、制御符が次々に砕けている。

「嘘だ……人間ごときが、原初と盟約など」

オルベリオが一歩下がる。ソーマは振り向かずに言った。

「エルナ、記録の用意を」

エルナが小型の観測板を開く。古代文字の転写を素早く広げ、震える指で術式円の残光と照合する。ピケがその隣で、核に浮かぶ文字を指差した。

「この文字、エルナの古い記録と重なるよ」

「禁術文字と一致する。リュカの群れを滅ぼした術式は、この偽命令と同じ構造。魔王の命令じゃない」

エルナが顔を上げる。リュカの尾が、石床を打った。

「なぜ、同胞の真名を」

銀の目がオルベリオを貫く。低い声は炎の前の風のような静けさを孕む。

「解読できれば、誰でもよかった」

オルベリオは制御符の破片を握りしめたまま言う。白い祭服の上で、砕けた石が灰のように舞った。

「原初の声を封じるためではなく、語り部の力が欲しいだけだ」

「その術式は誰から得た」

ソーマが食い込む。オルベリオは答えない。沈黙のまま一歩後退し、背後の柱に肩をぶつけた。

「答えない、と。いいさ。お前の沈黙も、エルナの記録に証言として残す」

ソーマは左手を上げた。空になった指輪の痕が、暗闇で薄く光っている。

「ピケ、開いた門を閉じるのは任せられるか」

「うん。あの古い言葉、もう言える。でも、ソーマの声も欲しい」

「最後に貸す。それで終いだ」

ピケがうなずく。ソーマは門の前に進み出た。

ハルマティアの影が、闇の中でゆっくりと頭を下げる。鉤爪が石床を引き、細かい火花が散った。門の奥から、低い声が古い響きを帯びて流れる。翻訳スキルが、それを意味に変える。

「人の子よ。汝の真名を、我に示せ」

「ゾオマ・イツキ」

「我が真名は、ハルマティア」

声が重なる。門の文字列が一斉に白く燃え、回廊を昼のように照らした。

術式反動で、ザルムとオルベリオが床に倒れる。ザルムの叫び声が途中で消え、銀色の拘束光が四肢に絡んだ。ネルガは気を失ったまま横たわっている。偽命令の術式円は、外縁から砂のように崩れて消えた。

「最後の制御柱を砕く」

リュカが跳んだ。銀の牙が一閃し、入口近くに突き立つ黒い柱を半ばからへし折る。ガルドも斧を振り下ろし、偽命令の印が刻まれた石畳を断った。

左肩の古傷が、鋭く疼く。ガルドは一瞬顔をしかめたが、斧を引き抜いた瞬間、痛みが消えた。

「……抜けたな」

ガルドが息を吐く。ソーマは軽くうなずいた。

エルナが床に地図を広げ、ペンを走らせる。記録ではなく、正式な条文だ。彼女の筆跡が、盟約の第一項を刻む。

「第一項。人と魔物は、互いの真名を対等に名乗り、これを奪わない」

エルナが読み上げると、ハルマティアの声が重なる。

「第二項。命令は三つを超えてはならない。三つをも消耗させたとき、盟約は清く解かれる」

ソーマがうなずき、ペンを受け取った。条文の末尾、ハルマティアの名の隣に署名する。自分の真名を、魔物語で。

「ゾオマ・イツキ」

名を書いた瞬間、門の文字が深紅に染まり、やがて静かな青へ変わった。

大陸のどこかで、暴走していた魔物たちが一斉に足を止める。

ピケが門の前に立ち、核を高く掲げた。

「エル・ムンディア・トゥルーストゥ」

ソーマが隣で発音を支える。二人の声が交わり、巨大な扉がゆっくりと閉じていく。ハルマティアの咆哮が、今度は呼応の調べに変わり、回廊を静かに包んだ。

リュカが牙を地に突き立て、頭を下げる。

「我が牙は、この盟約に仕える」

ガルドは斧を背負い、崩れかけた制御柱の残骸を見下ろした。古傷はもう痛まない。

エルナが清書した盟約書を掲げる。ソーマの名とハルマティアの名が、第一項の下に並んでいた。

ソーマは盟約書の控えを受け取り、門の残光を背に振り返る。

「これで、大陸の魔物は人を理由なく襲わない。少なくとも、その牙を返してもらうまでは」

「返す、か」

リュカが銀の瞳を細めた。

「ああ。今日から、返すための契約が積み上がる」

エルナが盟約書を巻き終える。ピケが核を胸に抱いて笑った。ハルマティアの気配が門の向こうで溶けるように薄れ、沈黙回廊に静けさが満ちる。

王都の観測板が、大陸全ての暴走終息を示した。

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