FeverStory

荷物持ちの少年だけが読める迷宮の落書きで、俺は最強の探索者になる

第5話 管理者の名を継ぐ者

「目は、開いたのか」

マルロの声が頭上から落ちてくる。俺は小さく息を吐き、指先で布の縁を探った。第25層門前安全区画。岩壁に囲まれた待機所で、燭台の火が一つだけ揺れている。未明の空気は冷えて、鼻の奥が少し痛んだ。

「ああ。視界は戻っている」

手のひらを見る。青い幾何紋様がまだ薄く残っていた。眠る前より濃くはない。だが、線の一本一本が自分の骨に刻まれたようにしっくりしている。マルロが石片を取り出し、俺の手の上へ慎重に置いた。

「紋様と溝、合わせてみせてもらえるか。記録は昨夕に取ったが、君自身の目で確かめたほうがいい」

石片は冷たい。表面に走る溝が、手のひらの線とぴたりと重なる。青い光が一瞬だけ呼応して、それから静かに消えた。疑う余地がない。俺の魂に刻まれた読解の連なりは、この迷宮が待っていたものだ。

「いける」

「門はまだ開いていない。挑戦権証は共同名義だ。行くなら、荷物を置いていけ」

セリアが安全区画の入り口から声をかけてきた。折れた父の剣の柄を帯の右に差し、左肩には何も背負っていない。俺は起き上がる。ふらつきはない。鼻血の跡は塞がっていた。

「荷物は置いていく。お前の剣はどうする」

「父の剣は持つ。主武装はこれだ」

彼女は腰の剣を指で軽く叩いた。ぎらついた眼差しが門のほうへ向かう。俺の先導を待っている。許す、のではない。背中を守らせろという意思だ。

「道は俺が選ぶ。離れるな」

安全区画の外れで、人の足音が乱れた。衛士の鎧が鳴る。ダンの低い制止と、ナージャの冷たい事務口調が続く。

「――青い隊章への最終差し止め状です。これを拒否する権利は貴族派閥にはありませんよ、と申し上げているんです」

ナージャが一枚の紙を相手の胸元へ突きつけていた。差し止め状を持つのは貴族派閥の使者。細面の男だ。青い隊章を襟に留め、後ろには私兵らしい男が二人。衛士が三方を塞いでいる。

「返せ。これはギルド長印の取り消し手続きだ。部外者が立ち入る場ではない」

使者の声には油が浮いている。ダンが一歩進み、手にした革の束を地面へ並べた。

「賄賂打診の記録。意図的に不備にした届出。それから十八層で死なせかけたロルフの供述書。どれにも青い隊章が絡んで、全部そっちの筆跡だ」

「捏造だ。そんなものが通るとでも?」

「通る。ここは迷宮の前進拠点で、私の権限が届く場所だからな」

ダンが肩を寄せると、衛士たちが二人の私兵を壁際へ押さえつけた。使者の指が差し止め状から滑り落ち、紙が床で白く広がる。ナージャが拾い上げ、裏へ何かを書きつける。

「この場で拘束する。贈賄と偽情報流布、それに殺人未遂。署名は私とギルド長が後で正式に済ませる」

「お、お前ら……そんな真似が許されると思うな」

「許されないのはお前らだ。つまらん茶番を続けるなら、供述は檻の中で取ってやる」

ダンの声に温度はない。使者は口を開け、何か叫びかけて衛士に腕を引かれた。私兵ごと後方通路へ連行されていく。足音が消えると、安全区画がやけに静かになった。

「これで挑戦は止められん。門前まで行け」

ダンが俺の肩を一つ叩く。重い手だった。ナージャは書類を束へ戻し、俺とセリアに並ぶ。

「記録は私が安全区画で管理します。堂々と門を開けてきなさい」

門前は狭い広場になっていた。石扉が左右に閉ざされ、表面に青白い文言が浮かんでいる。俺は扉の前へ立ち、手のひらを石へ触れさせた。文字が呼吸するように明滅する。

「読めるか」

セリアが半歩後ろで剣を抜く。背中で彼女の気配が鋭く張りつめた。

「ああ。認証句だ」

声を落として、一文字ずつ追う。

『伽藍に眠る管理者の名を継ぐ者よ』

最初の探索で十四層の壁に浮かんで見たのと同じ――あのときは道を塞ぐ文言だった。今は門が俺を認めている。指先が熱を帯び、手の紋様が青く走った。残り読解回数は二回。魂の負荷を計りながら、喉を開く。

「――ヴィル・ガラン・エシュ」

『伽藍』が門の中央へ青い線を走らせる。石扉が地鳴りを上げて左右へ開いていく。冷たい風が王座の間から押し寄せ、燭台の火を一斉に揺らした。

「行くぞ」

「了解」

通路は短い。王座の間は広く、天井が見えない。玉座の前には一体の守護者が立っていた。岩をそのまま象った巨躯。顔に目がなく、甲冑の継ぎ目から黒い靄が漏れている。守護者が一歩踏み出すと、床石が割れた。

「……デカいのだけは予想どおりだな」

「真ん中を正面から通る。お前、何か読めるか」

壁を探る。守護者の背後、玉座の横の柱に古い言語が刻まれている。読み上げるなら今しかない。俺は駆け出しながら文字を視界へ叩き込んだ。

「『従者の名はヴァッサ・ロク。灰の冠を戴く徒なり』」

声にした瞬間、守護者の動きが止まる。黒い靄が消え、岩の体がびきりと縦に割れた。膝を屈した一瞬、セリアが横を駆け抜けていた。

「あああっ!」

父の折れた剣の柄ごと、曲がった刃を継いだ剣が閃く。全霊の突きが守護者の割れ目を貫いた。岩石が砕け、靄が四散して消える。玉座の奥から、一枚の石版がゆっくり浮かび上がってきた。

「守護者、撃破――だけど、今の一突きで右腕が」

「軽い裂傷だ。石版を見ろ」

最古の石版。俺は手を伸ばす。文字が読める。読むたびに手の紋様が青く照り返した。

『最下層への鍵は汝の魂の負荷なり』

俺は石版から手を離し、王座の間を見渡した。外に鍵はない。宝箱も台座もない。求められるのは、俺が迷宮の言葉を読むたびに背負ってきた魂の痛みそのものだ。

「……そういうことか」

「何がそういうことか、家に帰ったら説明しろよ。ボロボロの背負い紐で担げる化け物か、お前は」

「荷物持ちの元締めだ。これくらい読めないでどうする」

俺は短く答え、王座の間を後にする。二回分の読解の疲労が膝に来ていた。セリアは何も言わず、右腕から血を滴らせたまま俺の半歩後ろを歩く。

安全区画へ戻ると、ダンとナージャが立っていた。マルロは照合書を抱え、俺の手のひらを見つめて何度も頷いている。ダンが小さな黒い箱を開け、中から銀縁の認可札を取り出した。

「リクト・アイン。」

初めて、認可札を手に取る。表面に階級が刻まれていた。

「A級探索者、兼迷宮読解士。ギルドが正式に認定する。最古の石版と第25層突破をもって、その資格を授ける」

「……軽くねえな、これ」

「重いのはお前の魂のほうだ。よく戻った」

ダンが俺の肩を掴む。セリアが隣で、父の折れた剣を掲げた。

「――ヴァルムシュタットの名に、偽りがなかったことを、この場所で一歩ずつ証明する」

彼女の右腕に血が滲む。それでも剣先は揺れない。ナージャが拘束令状に署名し、ダンがそれへ続く。遠くで朝の鐘が鳴り、迷宮の門が静かに閉じた。

俺はA級初日として、胸の前で認可札を光に透かした。

荷物持ちの少年だけが読める迷宮の落書きで、俺は最強の探索者になる第5話 管理者の名を継ぐ者