FeverStory

最弱と嘲笑われたF級探索者が、誰も入れない第零層の扉を開ける。

第6話 意志が扉を選ぶ

崩壊は足元から来た。前庭の石畳が砕け、黒い裂け目が花弁のように開く。落下の途中、美琴の手だけが俺を現実に繋ぎ止めていた。

「玲人、掴まって」

鎖が伸びる。白い光の軌跡が瓦礻に食らいつき、俺たちの体は半ば宙づりになった。眼下に黒い扉がある。いや、扉だったものだ。輪郭が溶け、青黒い光が血管のように脈打っている。

「正面から行く」

俺は言った。美琴の顔が強張る。

「お前の出力じゃ」

「出力じゃない。向きだ。ロアはそう警告した」

扉が唸る。前庭の残骸が奈落へ吸われ、空気ごと持っていかれる。ペンダントが熱い。服の上からでもわかるほど、青黒い光が指の間から漏れていた。

「久瀬の装置はまだ動いてる。後方から断てるか」

「断つだけなら。でも、あんた一人で」

「正面に立つのは俺の役目だ。お前は道を作れ」

美琴の鎖が軋む。彼女は一瞬だけ唇を噛み、それから強く頷いた。

「後悔させるな」

「させない」

彼女の鎖が緩む。俺は壁を蹴った。

現実側の観測室に、警報が鳴り響いた。

南星羅は操作席に駆け込み、画面を二つ叩いた。鏡骸樹海の境界が連鎖的に崩れている。赤い光点が前庭の座標を中心に広がって、消えていく。

「ダメ、このままじゃ」

左脚が疼く。古傷だ。非正規ゲートで負ったあの日の傷が、警報のたびに同じ場所を刺す。

星羅は迷わず、久瀬の非公認実験記録を開いた。一時権限で取得した記録のコピーが、端末に残っている。彼が残した開門者信号の安全値。F級でも零層と同期できる、たった一つの数値帯。

「これなら」

指が震えた。星型の指輪が、操作のたびに冷えていく。送信キーに触れた瞬間、左脚が折れるように痛んだ。

彼女は歯を食いしばり、玲人と美琴の端末へ、安全値を送った。

「お願い。二人とも、戻ってきて」

指輪はもう、氷のように冷えていた。

零層の内部は、音がない。

いや、ある。耳鳴りだけが、低い波のように寄せては返す。壁はなく、床も不明瞭で、ただ青黒い闇がどの方向にも続いている。

その中央に、ロアがいた。

「再来を歓迎はせぬ」

声は空気ではなく、頭蓋の内側に響く。

「開く者ではないな。おまえは、開かされる者として堕ちた」

「違う」

俺はペンダントを握った。

「俺は、自分の意志でここに立ってる」

ロアの輪郭が揺れた。嘲笑か、それとも別の何かか。

後方で、久瀬の装置が唸りを上げた。

「開門信号、再送信する。篠宮玲人、お前はまだ鍵だ。出力が足りないなら、私が押し込むまでだ」

美琴の鎖が、装置のケーブルを三本同時に断った。火花が散る。久瀬の端末が異常値を表示し、彼の表情が初めて崩れた。

「何を、してる」

「お前の弟は、そうやって死んだんだろ。誰かに開かされて、代償だけ払わされた」

美琴が踏み込む。彼女の鎖が久瀬の腕を絡め、制御盤から引き剥がした。

「弟は」

久瀬の声が、装置のノイズに混ざる。

「弟は、自分から望んだんだ。あの日も、鍵なんかじゃなかった。ただ、扉に呼ばれて」

「だから、玲人を同じ目に遭わせるのか」

美琴が彼を床に叩きつけた。

装置が逆流を始める。開門信号が乱れ、青黒い光が濁っていく。暴走が、止まらない。

玲人の手の中で、ペンダントが震えた。

「鍵は、差し込む場所を選べ」

ロアが言った。

「扉ではない。誰に開かれるのでもない。おまえ自身が、共鳴点を選ぶのだ」

俺はペンダントを紐ごと外し、正面に掲げた。

青黒い光が、指をすり抜けて伸びる。

システムウィンドウが、目の前に浮かんだ。

`[再覚醒条件を確認しました。適性値が不足しています。代替手順を提示します:『開門者の認証をF級権限で試行』を実行しますか?]`

迷わなかった。

「実行する」

`[実行を受理しました。開門者認証——開始します]`

ペンダントが勝手に動いた。いや、扉の共鳴点が、ペンダントを吸い込む。鍵型の青黒い光が、扉の中心に触れた。

耳鳴りが、最高潮に達した。

そして、止んだ。

扉が、静まる。

暴走していた光が凪いで、輪郭が閉じていく。ロアの姿が、境界の靄の中で半透明になった。

「よかろう」

声は遠ざかる。

「資格ではない。代償でもない。おまえの意志が、扉を選んだ。それでよい」

ロアは、扉と同化して消えた。

零層は、静けさに包まれた。

境界の連鎖崩壊は止まり、非公開ゲートの構造が安定していく。久瀬は衒いなく床に座り込み、壊れた装置をただ見ていた。

「弟にも、この選択肢があったのか」

誰に問うでもなく、彼は言った。

「あったさ。お前が取り上げたんだ」

俺は答えた。

久瀬は目を閉じた。

現実側の仮設本部へ、強制転送で帰還した。

星羅が松葉杖を突いて立っていた。左脚を庇いながら、それでも俺たちの姿を見るなり、泣き笑いの顔になる。

「よかった。本当に」

「足、どうした」

「古傷。ちょっと派手にやっちゃって」

星羅は星型の指輪に触れた。指先が白い。

俺は彼女の手を、指輪ごと握った。

「お前の送信がなければ、共鳴点を選べなかった。ありがとう」

「そっか。間に合ったんだ」

美琴が一枚の紙を広げた。協会の認証書だ。

「篠宮玲人。F級探索者。零層開門者として、非公開ゲートの管理協力権を認証する」

彼女は俺の目を見た。

「お前が開いたんだ。誰にも開かされず、お前自身の意志で」

美琴が、手を差し出した。

俺はその手を握り返した。彼女の白いアザが、夕暮れの光で鈍く透けている。

「等価だ。もう誰かの鍵じゃない」

「ああ」

星羅の処分通知が届いた。俺と美琴は、連名の共同責任書に署名した。処分は保留。星羅の記録改ざんは、彼女自身が正式に事情を説明する機会を与えられた。

久瀬迅は、協会の拘束車へ連行されていく。

彼は一度だけ振り返り、俺のペンダントを見た。

「弟が、あの扉に見たのは、お前の持ってる意志の光だ」

それだけ言って、彼は車に乗り込んだ。

夕方の風が、ゲート管理区域を通り抜けていく。

俺はペンダントを掌に載せた。青黒い光は、もう熱くはなかった。ただ静かに、俺の体温と同じ温度で、そこに在った。

最弱と嘲笑われたF級探索者が、誰も入れない第零層の扉を開ける。第6話 意志が扉を選ぶ