無能と追放された鑑定士が辺境の村で薬草の真の等級を見抜き、静かに暮らしていたら元仲間が自滅した件
第1話 雑草が黄金に変わる日
リンデ村の外れに立ったとき、風が妙に冷たかった。
馬車を降りてから徒歩で半日。王都から十日かけて辿り着いた辺境は、畑の緑さえどこか痩せて見える。
ユウトは麻のシャツの襟を立て直し、右手の中指にある真鍮の指輪を無意識に回した。鑑定補助の習慣だ——といっても、戦闘パーティーでは一度も評価されたことのない癖だった。
「役立たずは必要ない」
クライヴの声がまだ耳にこびりついている。ユウトは首を振り、村へ続く道を進んだ。とにかく今夜の寝場所を確保しなければ。馬車代で金はほとんど尽きている。
野原の手前で、しゃがみこむ人影が見えた。
麻のワンピースを着た若い女だ。手には蔓草のようなものが握られていて、腰の籠には緑の葉がいくつか覗いている。
薬草摘みか。ユウトは素通りしようとした——が、視界の隅で何かが光った。
鑑定スキルが勝手に発動する。
女の手にある蔓草の一本が、かすかに青白く輝いて見えた。等級を示す光だ。それも、ただの光じゃない。九だ。
「待て」
口から声が出ていた。女が顔を上げる。くすんだ金髪に、泥のついた頬。年は十八か十九か。
「それ、どこで摘んだ」
女はきょとんとして、それから手元の草を見下ろした。
「これ? 東の斜面にたくさん……ただの雑草よ。根が浅くて引きやすいから、干して焚き付けにするの」
「月光草だ」
ユウトは近づき、蔓草を一本受け取った。葉の裏に銀色の細かい線が走っている。等級の光は間違いない。
「本物なら等級は九。王都の取引価格で一束、金貨三枚だ」
「……金貨?」
女の目が大きく開く。村の暮らしでは銀貨すら珍しいはずだ。ユウトは草を彼女に返した。
「俺に言われても困るか。だが、焚き付けにするのは損だと思う」
女はしばらく草とユウトの顔を交互に見比べて、それから勢いよく立ち上がった。
「村長のところへ行くべきだわ。あ、私はエレナ。あんたは?」
「ユウトだ。鑑定士だ」
「鑑定って、あの?」
エレナは少し迷うような間を置いた。戦闘には使えないスキル、という評判を知っている顔だ。ユウトは肩をすくめる。
「戦えない。それだけだ」
「いや、この村じゃ戦う相手なんて出ないから」
エレナの口調は不思議と軽く、すでに足は村の中心へ向いていた。
村長ゲルハルトの家は集会所を兼ねていた。天井の梁は黒ずみ、壁の漆喰はひび割れている。それでもこの村では一番大きな建物だ。
ゲルハルトは五十がらみの男だった。日焼けした腕と、深く刻まれた眉間の皺が、この村の厳しさを物語っている。
「月光草、だと」
ゲルハルトはユウトの差し出した蔓草をじっと見つめた。
「わしは三十年ここで生きとるが、そんな高価なものが村にあるとは聞いたことがない」
「葉の裏を見てくれ」
ユウトは指で銀色の線をなぞった。
「この模様は月光草だけの特徴だ。鑑定スキルで見ると等級は九——栽培品ならまず出ない数字で、天然物でも珍しい」
「その鑑定とやらが、間違いだとは言えんのか」
「間違いなら」
ユウトは静かに答えた。
「この村を出ていく。それだけだ」
ゲルハルトはしばらく黙り込んだ。卓の上の粗末な燭台が揺れ、影が壁を這う。
「……西の谷には変わった草が生えとる、とエレナは言っとったな」
エレナがうなずく。
「なんか、光る草もあるって噂。夜になるとぼんやりと」
ユウトは彼女に目を向けたが、何も言わなかった。西の谷——頭の隅に置いておく。
「村長」
エレナが一歩前に出た。
「ここ何年か、税が厳しすぎる。今年も不作で、来年の春までもたない家がほとんどだ。もしこれが本当に売れるなら」
「税か」
ゲルハルトは深く息を吐き、椅子に座り直した。
「実はな、わしは過去に一度だけ、不作だと虚偽の報告をしたことがある」
エレナの肩がこわばった。
「あの年は本当にやばくてな。正直に報告すれば、村人の半分が飢え死にしとった。税吏には悪いことをしたが、村は助かった」
ゲルハルトは机の端を指でなぞった。古びた傷痕が幾筋も走っている。
「だがそんな手はもう使えん。今年の収穫は目に見えて減っとる。畑の土も疲れきっておるし」
ユウトは黙って聞いていた。鑑定スキルが反応する——この卓そのものが、かつては上等な木材だったことを示していた。今は等級二。時の流れが品質を削り落としている。
「ゲルハルトさん」
ユウトは顔を上げた。
「土壌も鑑定できる」
「なに?」
「俺のスキルは、土の品質も見られる。種子の適性もだ。戦闘には使えないが、それくらいは」
ゲルハルトの目がわずかに見開かれた。エレナは口に手を当ててユウトを見ている。
「あんたに、ここにいてほしい」
ゲルハルトは立ち上がり、ユウトの前に立った。
「村を救えるかどうかはわからん。だが、この三十年で初めての希望だ。わしらが差し出せるのは粗末な寝床と、わずかな食事くらいだが」
ユウトは一瞬、目を閉じた。
脳裏をよぎるのはクライヴの嘲るような笑みだ。役立たず、無能——パーティーの誰もがそう思っていた。だがここでは違う。必要とされている。
「……わかった」
声は思ったより落ち着いていた。
「俺のスキルでよければ、しばらくここに置いてほしい」
エレナが小さく息を呑み、それから笑った。村で見た最初の笑顔だった。
ゲルハルトは無言でうなずき、ユウトの手を握った。力強い握手だった。
翌朝。
ユウトは集会所の隅に用意された簡素な寝台から起き出し、外の空気を吸った。
朝靄が村の畑を覆っている。近くでエレナが籠を手に立っていた。
「西の谷へ案内するわ。さっそくだけど、いい?」
「先に、やることがある」
ユウトは答えた。土壌の鑑定を始めるつもりだった。畑と、周辺の野山と。
「そのあとで案内してくれ」
エレナがうなずく。そこへ、村の入口から蹄の音が響いた。
見慣れぬ馬が一頭。乗っているのは黒い外套の男で、手に巻物を持っている。ゲルハルトが家から飛び出し、表情を硬くした。
「税吏のヴェルナーだ」
黒い外套の男は馬を止め、巻物を開いて冷たい声で宣言した。
「今年の税は規定通り、一切の減免なく徴収する。この村の昨年の収穫高から算出した額に不足があれば、差し押さえも辞さぬ」
ゲルハルトの拳が白くなった。
村に張り詰めた空気が走る。エレナが不安げにユウトの袖を引いた。
ユウトはヴェルナーを一瞥しただけで、すぐに視線を外した。税吏との交渉はゲルハルトの役目だ。自分が口を出すことじゃない。
「まずは、見せてもらおうか」
ユウトは静かにエレナへ向き直った。
「西の谷だ。案内してくれ」
エレナがはっとしてうなずく。ゲルハルトに目配せを送り、二人は村の裏手へ歩き出した。
背後で、ヴェルナーの冷たい声がまだ続いている。だがユウトの頭の中はすでに、西の谷の土と光る草のことでいっぱいだった。