無能と追放された鑑定士が辺境の村で薬草の真の等級を見抜き、静かに暮らしていたら元仲間が自滅した件
第2話 光る草と満月の刻
村の裏手から西へ、獣道を三十分ほど歩いた。
朝露が草を濡らし、一歩ごとに靴が沈む。エレナは迷いなく先を進み、ときおり振り返ってユウトを待った。
「このあたりから日当たりが変わるの」
エレナが指さす先で、谷の斜面がゆるやかに開けていた。木々の切れ目から朝日が差し込み、地面にはまだらな光の模様を作っている。
ユウトは立ち止まり、息を整えた。右手の中指にある真鍮の指輪を無意識に撫でる。
「ここだ」
視界の端で数字が踊るのを感じた。鑑定スキルが反応している。
「土の等級が上がってる。等級五。村の畑は二だった」
「土にも等級が?」
「ああ。水はけ、養分、微生物の層。全部数値で見える」
ユウトはしゃがみ込み、指で土をすくった。湿った黒土が指の間からこぼれる。
「ここから先は六だ。奥にもっと高い場所がある」
二人は斜面を下り、谷底へ向かった。空気が冷えて湿り気を増す。岩壁が両側から迫り、空が細く切り取られた。
谷の最深部で、ユウトは足を止めた。
「……月光草だ」
「え?」
エレナが周囲を見回す。そこらじゅうに生えているのは、雑草と見分けのつかない細い蔓草ばかりだ。
「これが?だって昨日のとは全然——」
「夜になるまで待て。全部が等級八から九。ここは群生地だ」
ユウトの声は淡々としていたが、右手の指がわずかに震えている。
「二十……いや、三十株はある。土壌は等級七。この谷全体が特殊な環境だ」
エレナは口を開けたまま、しゃがみ込んで蔓草の一株に触れた。
「こんなにたくさん……村のすぐそばに」
「誰も知らなかったんだろう。昼間はただの草だ」
ユウトは群生地の端から端まで歩き、頭の中で分布を記録した。
「南側の斜面は日陰が長い。あそこは等級八が多い。北側の岩場寄りが九だ。日当たりと水分の勾配がはっきり出てる」
「待って、覚えきれない」
エレナは慌てて腰の物入れから炭と布切れを取り出した。布を地面に広げ、ざっと地形を描き始める。手際がいい。
「南側、等級八。北の岩場、等級九」
ユウトは彼女の横にしゃがみ、布の図に指を置いた。
「ここに杭を打つ。保護区画の目印だ。それから西の端、あそこだけ土が等級六に下がってる。水が溜まりやすい。種子の苗床に使える」
「種子?増やせるの?」
「わからない。でも試す価値はある」
エレナは顔を上げた。目が輝いている。
「村に戻って、ゲルハルトさんに——」
「先に準備だ。人手と道具がいる」
ユウトは立ち上がり、谷を見渡した。
「移植はするな。この場所をそのまま管理したほうがいい。日照と水を変えたら品質が落ちる可能性がある」
そのとき、谷の入口から足音が聞こえた。村の方角から、息を切らせた若い男が駆け下りてくる。
鍛冶屋の息子のハインリヒだ。肩幅が広く、まだ若いが腕は確かだと昨晩ゲルハルトから聞いていた。
「エレナ!いたか」
ハインリヒは膝に手をついて息を整え、それから顔を上げてユウトを見た。
「村長が呼んでる。鑑定が済んだら、できるだけ早く戻れって」
「わかった。でも先にやることがある」
ユウトはハインリヒを見た。
「手が空いてるなら、手伝ってくれ。この谷の入口に杭を打つ。それから村の畑から堆肥を三袋、ここへ運ぶ」
ハインリヒは一瞬きょとんとして、それからエレナの顔を見た。エレナがうなずく。
「……わかった。何が始まるのか知らんが、村長がお前の言うことを聞けって言ってた」
「助かる」
日が高くなるにつれ、谷には村人たちが集まり始めた。エレナが走って伝えたのだろう。鍬を持った中年の男、籠を抱えた女、年寄りもいる。
ゲルハルトが最後に現れた。手に杖をつき、ゆっくりと斜面を下りてくる。
「これか」
ゲルハルトは群生地を前に立ち尽くした。深い皺の刻まれた顔に、朝日が差している。
「この草が、金貨になるのか」
「夜になればわかります。でも、鑑定結果は間違いない」
ユウトは谷の中央で、村人たちに囲まれて立った。
「ここから先は立ち入りを制限する。南の斜面は特に慎重に扱ってほしい。踏み固めると土壌の通気性が落ちる。収穫は北側の等級九から。それも一度に全部じゃなく、三割ずつ、間隔を空ける」
村人たちは黙って聞いている。鍬を持った男が口を開いた。
「そんなに慎重にやらなきゃならんのか。雑草みたいなもんだろ」
「雑草じゃない。月光草だ。等級が一つ下がるだけで、価値は十分の一になる」
男は口をつぐんだ。
ゲルハルトが一歩前に出た。
「ユウトの指示に従え。この男の目がなけりゃ、わしらは今日もこの草を雑草として踏んでいた。文句があるなら、俺に言え」
静寂が谷を包んだ。風が斜面を抜け、蔓草の葉をかすかに揺らす。
「……これで村が変わる」
ゲルハルトの声は低く、だが確かな重みがあった。
「三十年、わしはこの村で税に押しつぶされるのを見てきた。子供を手放した家もある。冬を越せずに墓を増やした年もある。だが、これで」
言葉が途切れた。ゲルハルトは拳を握りしめ、顔を上げた。
「必ず、育て上げる。村を守る」
エレナが小さく息を呑み、布に描いた図を胸に抱えた。
ユウトは黙ってうなずいた。
王都の冒険者ギルドは、昼前だというのに酒と汗の匂いが漂っていた。
掲示板の前に、クライヴが立っている。肩越しに差し込む光が、掲示された依頼書の文字を浮かび上がらせていた。
「グリフォンの縄張り調査、推奨ランクB以上」
仲間の魔術師、コリンが腕を組んで首を振る。
「やめとけ。俺たちのパーティーはCランクだ。それに、お前の剣だけじゃ——」
「ユウトがいなくなって火力が足りない、か?」
クライヴは振り返らずに言った。
「あんな鑑定士、いてもいなくても同じだ。むしろ今のほうが身軽でいい」
コリンは何か言いかけて、やめた。
酒場の隅から、借金取りの使いがこっちを見ている。クライヴは視線を感じながら、依頼書を掲示板から引き剥がした。
「報酬は銀貨五十枚。これを取れば、今月の支払いは全部済む」
「グリフォンだぞ。一対一で勝てる相手じゃない」
「勝たなくていい。調査だ。痕跡を確認して戻れば、報酬はもらえる」
クライヴは受付に歩み寄り、依頼書をカウンターに叩きつけた。
「パーティー『銀翼』、この依頼を受ける」
受付の女性が顔を上げ、依頼書に目を走らせた。
「推奨ランクを下回っていますが」
「問題ない。俺が一人で行く」
「クライヴ!」
コリンが声を上げたが、クライヴは署名欄に羽ペンを走らせた。
「お前らは留守番だ。どうしても来たいなら、止めはしない」
コリンはギルドの入口で立ち尽くし、クライヴの背中を見送った。
クライヴは一度も振り返らなかった。
依頼書には「単独遂行」の文字が記され、カウンターに残された。
夕方、ユウトとエレナは村へ戻り、ゲルハルトの家へ向かった。
冷たい風が戸口から吹き込む集会所で、ヴェルナーが黒い外套に身を包み、同じ巻物を手に立っている。
「ゲルハルト村長。税額の確認は済んだか」
ゲルハルトは机の前に立っていた。手には昼間にハインリヒから届けられた通告書が握られている。
「……小麦で換算して四百二十キロ。銀貨なら十二枚。今年の収穫では、とても」
「規定だ」
ヴェルナーは巻物を机に置き、指で一行をなぞった。
「この村の昨年の収穫高から算出した額だ。不作であろうと、それは変わらん。王国法に基づく正当な課税である」
集会所の隅で、ユウトとエレナは黙って成り行きを見守っていた。
エレナの手が膝の上で固く握られている。ユウトは表情を変えず、ヴェルナーではなくゲルハルトの背中を見ていた。
「期限はいつまでだ」
ゲルハルトの声はかすれていた。
「次の満月まで。それまでに全額を納めよ。不足があれば——」
ヴェルナーは言葉を切り、集会所の天井を見上げた。古びた梁が、何十年もの重みに耐えて軋んでいる。
「家畜と備蓄を差し押さえる。それでも足りなければ、共有地を没収する」
エレナが立ち上がりかけた。ユウトが静かに手を伸ばし、彼女の袖を引く。
だめだ、と目で伝えた。
「……わかった。満月までに用意する」
ゲルハルトは深く息を吐き、うなずいた。
ヴェルナーは一礼し、外套を翻して集会所を出ていった。蹄の音が遠ざかり、やがて聞こえなくなる。
エレナが拳を膝に叩きつけた。
「どうして何も言わないの!あんなの、絶対におかしい。不作なのは見ればわかるのに——」
「税吏に理屈は通じない。あれは法律そのものだからな」
ゲルハルトは机の前に腰を下ろし、両手で顔を覆った。
「時間を稼ぐ。それしかできん」
ユウトは立ち上がり、ゲルハルトの前に立った。
「満月まで、あとどのくらいだ」
「四半期。秋の半ばだ」
「月光草の成長サイクルは一か月半。今日、種子を苗床に蒔けば、収穫は満月の直前に間に合う」
ゲルハルトが顔を上げた。
「本当か」
「あくまで理論だ。天候が悪ければ遅れる。でも、やる価値はある」
エレナが布を取り出し、机に広げた。昼間に描いた谷の地図だ。
「僕たち、もう始めてる。南の斜面は等級八、北の岩場が九。苗床は西の端」
ゲルハルトは地図を見つめ、深い皺の間から涙を一滴こぼした。
「……ユウト」
声が震えている。
「お前さんが来てくれなければ、わしは今年、村を畳むところだった」
ユウトは首を振った。
「まだ何も終わってない。月光草が育って、旅商人が買い取って、税を払い終えるまで」
「それでもだ。道が見えた」
ゲルハルトは立ち上がり、ユウトの肩を掴んだ。力強い手だった。
「次の満月までに、月光草を育て上げる。必ず村を守る」
ユウトは静かにうなずいた。その脳裏に、王都の喧騒も、クライヴの嘲笑も、今はもうなかった。
ただ、この村の大地と、光る草と、守るべき未来だけがあった。