無能と追放された鑑定士が辺境の村で薬草の真の等級を見抜き、静かに暮らしていたら元仲間が自滅した件
第3話 満月までの盟約
翌朝、村長の家の戸を叩く音がした。
ゲルハルトが立ち上がり、重い木戸を引く。外には背の低い男が立っていた。肩に大きな革袋を提げ、旅の埃にまみれた外套を羽織っている。
「マルコだ。約束通り、薬草を見せてもらおう」
ユウトは机の上に用意していた布包みを開いた。乾燥させた月光草が三束、薄暗い室内でかすかに燐光を放っている。
マルコは無言でしゃがみ込み、革袋から銅製の拡大鏡を取り出した。葉脈をなぞり、茎の断面を指でつまみ、最後に鼻先に近づけて息を吹きかける。
「……本物だ」
拡大鏡をしまう手がわずかに震えている。
「それで、どこにこれだけの群生地がある」
「西の谷だ。栽培も始めてる」
ユウトの声はいつも通り淡々としている。
マルコは二度、三度うなずき、それから腰を下ろした。
「取引の条件を決めよう。ただし——」
戸が再び開いた。
税吏ヴェルナーが薄い笑みを浮かべて立っている。
「おや、商人がいるとは珍しい。リンデ村に商売の種など残っていたか」
ゲルハルトが立ち上がりかけた腰を、ゆっくりと戻す。エレナは奥の壁際で唇を噛んだ。
「交易とはいえ、税の対象になる収入があれば申告いただきたいものだな」
「まだ何も売れていません」
ゲルハルトの声は平静を装っている。
「それにこの村は不作です。せめて期日の延長を——」
「ならん」
ヴェルナーは一歩踏み込んだ。
「規定は規定だ。王国法が定めた税額を、満月までに全額納めよ。不足分は家畜、備蓄、共有地の順で差し押さえる。以上だ」
マルコは拡大鏡をしまった革袋を抱え直し、壁際に身を寄せた。
「私は商人です。村と役人の間には立ちません。ただし」
ヴェルナーに一礼する。
「旅の者として申し上げます。この村の不作は一目でわかる。税を取るにしても、取り過ぎれば来年はないかもしれん」
「来年も税は必要だ」
ヴェルナーはマルコを一瞥し、それからゲルハルトに向き直った。
「では、満月までを最後の猶予とする。それ以降の延長は一切認めん」
戸を閉める音が三度響く。マルコも退出し、部屋には三人が残された。
ゲルハルトは机に手をつき、深く息を吐いた。
「時間切れか」
「まだだ」
ユウトの声は変わらない。
「月光草は育つ。問題は、それだけだ」
エレナが一歩前に出た。拳を握りしめ、顔を上げている。
「わたし、話さなきゃいけないことがある」
「五年前、王都に行ったことがあるの」
エレナの声は低く、しかしはっきりと通った。
「村の干し果実を売りに。当時はまだ祖母が元気で、わたしはただの手伝いだった」
ゲルハルトは目を閉じ、聞いている。
「大きな商家の前に立ったら、いきなり呼び込まれた。いい値をつけると言われて、契約書に判を押せと言われて」
言葉が途切れる。ユウトは黙って次の言葉を待った。
「祖母が異変に気づかなければ、村の冬の蓄え全部をあの商人に渡すところだった。わたしは字が読めなかった。契約書にはとんでもない金額が書いてあったの」
「それからだな、お前が読み書きを覚え始めたのは」
ゲルハルトの声はかすれている。
「そう。だから交易の交渉は、もう誰にも騙されない。正しい知識を持って、村を——」
エレナはユウトに向き直った。
「ユウト。あなたの鑑定で、この村の価値を教えてほしい。わたしはそれを、ちゃんと金に変える」
ユウトは短く息を吸った。
「わかった」
右手の中指にある真鍮の指輪を無意識に撫でる。その指を見つめながら、彼はゲルハルトに視線を移した。
「村長、お前の過去も、今は関係ない」
ゲルハルトが顔を上げる。
「あの虚偽報告のことか」
「知ってたのか」
エレナが目を見開く。
ゲルハルトはうなずいた。
「一度だけ……この村がどうしても冬を越せない年があった。そのときは不作だと嘘をついて税を逃れた。それ以来、毎年税を払い続けてきたが——」
「だから罪の意識で村にしがみついていたのか」
ユウトの声には非難の色がない。
「でも、もういい。過去の過ちは、これからの村で返せばいい」
ゲルハルトは深い皺の間から、涙を一滴こぼした。
「……ああ」
数日後。
村の広場に旅人が一人、立ち寄った。王都から東へ向かう途中だという。
「そういえば、王都じゃ『銀翼』って冒険者パーティが全滅したらしい。グリフォンの縄張りに単独で踏み込んだんだと。リーダーはクライヴとかいう剣士だったかな」
広場の端で、マルコが馬に鞍を置く手を止めた。その向こうではヴェルナーが書類を広げ、村の納税記録を確認している。
ユウトはその噂を聞き、一度だけ空を見上げた。
「そうか」
それだけだった。
踵を返し、村のはずれの畑へ向かう。エレナとゲルハルトが後を追う。
西の谷から運んだ土は黒く湿り、月光草の芽が点々と顔を出し始めている。等級七の土壌に根を張り、等級九の葉を広げる。その事実だけが、ユウトの視界に数字となって踊っていた。
畑の真ん中で立ち止まる。
「来年も、その先も、この村で作物を育てましょう」
エレナが隣でうなずく。
ゲルハルトが鍬を手に取った。
「俺のスキルで、この村の未来を鑑定してください」
ユウトはしゃがみ込み、指で土をすくった。
湿った黒土が指の間からこぼれる。畑の向こうに広がる空は高く、もう秋の色をしていた。
広場では、マルコが馬の背に荷をくくりつけ終え、村の景色を静かに見渡している。ヴェルナーはまだ同じ場所に留まり、手にした書類をめくりながら次の満月を待っている。
ユウトは立ち上がり、鍬を握った。