追放された鑑定士が辺境の村で薬草の真価を見抜き、元仲間が自滅するまで
第3話 託された光
夜明け前。
リュートは納屋の藁布団から身を起こした。ポーチの中の種袋に手を触れる。五つの種は変わらず静かだ。
外に出ると、朝霧が村を覆っている。かすかに鶏の声。
マルタの家の前。メルクが杖を突いて立っていた。
「早いな」
リュートが声をかけると、メルクは顔を向けた。白く濁った瞳が、音の方向を捉える。
「話したいことがある。来い」
メルクはそれだけ言うと、杖を突きながら歩き出した。リュートは黙って後を追う。
村の西はずれ。共同墓地の古い石垣に沿って、細い獣道が伸びている。メルクは迷いなくその道を進んだ。足元の草が露に濡れ、リュートのブーツを湿らせる。
「どこへ」
「もうすぐだ」
墓地の裏手。傾斜地にぽっかりと開けた窪地があった。周囲を古木が囲み、上からは見えない。
メルクは立ち止まった。
「ここだ」
リュートは息を呑んだ。
窪地の底一面に、淡く発光する草が群生している。葉は細長く、縁が青白く縁取られていた。朝霧に混じって、かすかに甘い香りが漂う。
「魔光草……」
「知っているか」
「図鑑で見た。希少な薬草だ。だが実物は初めてだ」
メルクはゆっくりと頷いた。
「四十年、この村で薬草を扱ってきた。この場所は、わしだけの秘密だった」
「なぜ今」
「目だ」
メルクは自分の瞼に指を当てた。
「もうほとんど見えん。あと半年もすれば完全に光を失う。だが、それよりもな」
メルクはリュートに向き直った。
「お前の目が本物か、確かめたかった」
リュートは魔光草の一株に歩み寄った。膝をつき、葉に指先で触れる。
集中。
琥珀の瞳の奥で、星が瞬く。
「星4」
リュートは淡々と言った。
「魔力含有量は月光雫草に及ばない。だが薬効の方向性が違う。これは傷薬じゃない。魔力回復薬の基材になる」
メルクの手が杖を握り締めた。
「……星4だと」
「ああ。ただし一つ問題がある」
リュートは葉の裏側を指さした。細かい黒い斑点が浮かんでいる。
「未熟な状態で調合すると毒性に転じる。満月の夜にしか採取できない。それ以外の時期に摘めば、ただの毒草だ」
メルクは長く息を吐いた。
「十年間、わからなかった。なぜ効く時と効かぬ時があるのか」
「星眼がなければ見抜けない」
リュートは立ち上がり、窪地全体を見渡した。ざっと百株はある。すべて星4等級。王都で売れば、村ひとつが一年は食える額だ。
「どう活用する」
「村のためだ」
メルクの声が震えた。
「わしはずっと、この草を宝の持ち腐れにしてきた。知識がない。目ももう利かん。だがお前なら」
メルクはリュートに手を差し出した。節くれだった指が、かすかに震えている。
「この場所を、お前に託す」
リュートは黙ってその手を見た。
「俺はよそ者だ」
「だからだ。古いしがらみのない人間が必要なんだ」
リュートはメルクの手を握った。
「わかった。ただし条件がある」
「なんだ」
「この場所のことは、村長とマルタ以外には伏せる。広まれば盗人が来る」
「賢明だ」
「もうひとつ」
リュートは腰のポーチに手を当てた。
「マルタの祖母の種。あれも調べたい。星眼にだけ反応する。お前の知識が必要だ」
メルクの白い瞳が細められた。
「星眼にだけ……。聞いたことがある。伝説の類いだが」
「伝説?」
「後で話そう。まずは村長に報告だ」
王都ルーメリア。冒険者ギルド。
ガルドは受付カウンターの前に立っていた。左手に握りしめたクエスト報告書が、汗で湿っている。
「三度目だぞ、ガルド」
ギルド職員の男が、書類を机に叩きつけた。
「薬草クエスト三連続失敗。しかも今回は納品した薬草が全部等級違い。依頼主から損害賠償の請求だ」
「……鑑定士がいない」
「言い訳になるか」
ガルドは口を閉ざした。こめかみの筋が浮き上がる。
周囲のテーブルから、ひそひそ声が聞こえる。
「またあのパーティーか」 「戦闘はできても鑑定がな」 「追放した奴、確か星眼持ちだったらしいぜ」
ガルドの拳が握り締められた。
職員が書類を突き返す。
「次の依頼は受けられん。しばらく反省しろ」
ガルドは無言で書類を受け取った。カウンターを離れ、掲示板の前で足を止める。新しいクエストの貼り紙が十数枚。全て、一定以上のギルド評価が条件と書かれていた。
ガルドは貼り紙を一枚も剥がせず、立ち尽くした。
正午過ぎ。バルデラ村中央広場。
ヒューゴの馬車が戻ってきた。荷台は空だ。
「リュート! マルタ!」
ヒューゴが手を振っている。リュートとマルタが近づくと、ヒューゴは御者台から飛び降りた。
「聞いたぞ。王都で妙な噂をな」
「噂?」
マルタが首をかしげる。
「ガルドってパーティーだ。薬草クエストに三回続けて失敗。ギルドで干されてるらしい」
リュートは表情を変えなかった。
「懐かしい名前だな。で?」
「それだけさ。お前さんに関係あると思ってな」
「関係はない」
リュートは短く言った。
「もう俺のパーティーじゃない。それより」
リュートはヒューゴに一歩近づいた。
「魔光草を知っているか」
ヒューゴの目が大きく見開かれた。
「知っているも何も……あれは幻の薬草だ。市場に出れば銀貨十枚は下らん」
「この村にある」
ヒューゴはしばらく言葉を失った。リュートの顔をじっと見つめ、それからマルタの顔を見る。
「正気か」
「ああ。ただし条件付きだ。取引は俺を通せ。時期も量も俺が決める」
「……わかった」
ヒューゴは大きく息を吸い込んだ。
「だがな、リュート。こんな話が広がれば危険もついて回る。税の徴収官だって黙っておらんぞ」
「知っている」
リュートはマルタを一瞥した。
「だからこそ、まずは村長だ」
ロガンの家。
炉の火が揺れる薄暗い部屋で、リュートは全てを話した。魔光草の自生地。星4等級。満月にしか採取できない制約。市場価値。
ロガンは長い沈黙のあと、口を開いた。
「……つまり、村が変わるかもしれんということか」
「変えられる」
リュートはロガンの目をまっすぐに見た。
「ただし時間がいる。すぐに大金が入るわけじゃない。次の満月まであと二十日。それから採取、乾燥、出荷。実際の収入は二ヶ月先だ」
「それでも」
ロガンの声が詰まった。
「それでも、先が見えるというだけで、どれだけ」
ロガンは杖を握りしめ、立ち上がった。
「リュート。お前さんは、この村に骨を埋める覚悟はあるか」
「ある」
リュートは即答した。
「追放されて流れ着いた。だがここで、俺の目が必要とされている。それだけで十分だ」
ロガンは深く頷いた。皺の奥の目が光っている。
「マルタ」
「うん」
マルタは炉の火を見つめながら言った。
「私も手伝う。祖母の種も、きっと何か意味がある」
ロガンはリュートに手を差し出した。メルクと同じ、節くれだった老人の手だ。
「村を頼む」
リュートはその手を握った。
夕暮れ。
ロガンの家を出たリュートは、広場の隅で足を止めた。マルタが隣に立つ。
西の空が赤く染まり、東の空にはすでに星が瞬き始めている。
「証明してみせる」
リュートは呟いた。
「何を?」
「この村で、自分の目が活きることを」
マルタは何も言わず、隣で空を見上げた。
星がひとつ、ふたつと増えていく。
王都ルーメリア。冒険者ギルド。
夜になっても、ガルドは掲示板の前に立っていた。新しいクエストの貼り紙を、ただ見つめている。
どれもこれも、ギルド評価が足りない。
受付の灯りが消え、職員たちが帰っていく。
ガルドは一枚の貼り紙に手を伸ばしかけて、やめた。
拳を握りしめる。指の関節が白くなる。
誰もいなくなったギルドの片隅で、ガルドはただ、立ち尽くしていた。
