FeverStory

前世で毒殺された公爵令嬢が、今度は氷の騎士を味方に運命を覆す

第11話 氷の誓いと破れた血統

夜明け前、王都グレイヴ家別邸の客室で、エリアナは王妃からの手紙を折り畳み、机の端に置いた。アルヴィンは窓辺に立ち、まだ暗い街路を見下ろしている。

「時間がないわ」

エリアナの声に、彼は振り返らずに応じた。

「ああ。手紙が届いてから、もう一刻も経っている」

「王妃が動く前に、宰相エドマンドを呼ぶべきよ。あの改竄記録を見せれば——」

階下で、扉が破られる音が響いた。

硝子が震え、壁の燭台が揺れる。続いて複数の軍靴が石床を叩く規則的な足音。十人を下らない。アルヴィンは左手をエリアナの前に出し、彼女を壁際へ押しやる仕草をした。

「近衛兵だ。レナードが動いた」

客室の扉が外から蹴破られた。二人の近衛兵が剣を抜いて踏み込み、背後には魔術師のローブを着た男が三人、詠唱の構えで立っている。隊長らしき男が一歩進み出た。襟元に王子の白百合の徽章がある。

「グレイヴ辺境伯アルヴィン、ならびにエリアナ・ヴェルデ公爵令嬢。レナード殿下の名において、両名を拘束する。抵抗すれば——」

アルヴィンは動かなかった。左手の甲の魔石が青白く瞬き、部屋の空気がわずかに冷える。だが彼は氷を放たず、ゆっくりと両手を上げた。

「抵抗はしない。ただし彼女に手を触れるな」

近衛兵が二人に歩み寄る。エリアナは背筋を伸ばしたまま、アルヴィンの横顔を見つめた。彼の左手の魔石はまだ光を放っているが、その明滅は荒々しさを欠いていた。抑えているのだ。

「賢明だ、辺境伯」

隊長が手を振ると、兵士たちは剣は収めずに、アルヴィンの両腕を後ろ手に縛る。縄には魔力封じの呪印が刻まれていた。エリアナの手首にも同じ縄が巻かれる。荒い麻の感触が肌に食い込んだが、痛みより前世の感覚が蘇る。冷たい床、渇いた喉、毒の苦味——この不意打ちの拘束という状況が、あの日とあまりに似ている。

王宮へ続く地下通路を歩かされる。外はまだ闇が濃く、松明の揺れる火だけが石壁に影を踊らせていた。エリアナの左こめかみの痣が、じわりと熱を持ち始める。アルヴィンの魔石がそれに応えるように脈打ち、縛られた手に力がこもった。

「大丈夫だ」

アルヴィンの声は低く、兵士には届かない。エリアナは短くうなずいた。恐怖が消えたわけではない。だが、彼の魔石の明滅が、前世にはなかったものだ。

青薔薇の間に通されたとき、朝日がまだ差し込んでいなかった。壁面の青い薔薇の浮き彫りが、松明の光を受けて鈍く輝いている。レナード王子は窓辺に立ち、白い礼服の金の刺繍が歩くたびに魔力を帯びて輝くのを、わざとらしく見せつけていた。

その後ろに、王妃セレナが青ざめた顔で椅子に座っている。手にした手巾はもう皺だらけで、指が小刻みに震えていた。彼女はエリアナの左こめかみに視線を這わせたが、すぐに目を逸らした。

「ようこそ、愛しき婚約者」

レナードは振り返り、床に長く伸びる影を引きずりながら二人に歩み寄った。

「辺境伯もご苦労だったな。まさか私の近衛兵がそちらを包囲するとは思わなかっただろう」

「王妃の手紙は、やはり罠だったのですね」

エリアナの声は落ち着いていた。レナードは片方の眉を上げ、口元を歪ませる。

「母上の機転だ。お前たちが秘密文書庫に忍び込んで、何を探っていたかは知らんが——」

「殿下こそ、出生記録が改竄されているのをご存じで?」

レナードの笑みが一瞬で消えた。部屋の温度が下がったかのように、松明の炎が揺らぐ。王妃が息を呑む音が聞こえた。レナードは無言でエリアナに数歩近づき、その指先が彼女の顎に触れる寸前で、アルヴィンの左手の魔石が激しく明滅した。青白い光が部屋を満たし、拘束の縄が霜に覆われてひび割れる。

「動くな」

レナードは手を引っ込め、代わりにアルヴィンの左頬に目を留めた。古い傷跡。彼は声を落とし、毒を含んだ調子で言った。

「辺境伯、その傷はどうした。なかなか見事な古傷だ。前世でついたとでも言うか?」

エリアナは息を止めた。

「まあいい。実を言うと、あれは私の側近がつけたものだ。前世で、な」

彼は口元を歪ませ、エリアナに向き直る。

「私の側近が前世でな。お前の目の前で」

その瞬間、エリアナの左こめかみの痣が焼けるように熱を帯びた。視界の端が白く滲む。前世の記憶——倒れる銀の髪、カミラの高笑い、そして影から現れたレナードの側近の冷たい目——が頭の中で一気に繋がった。あの側近は、レナードの命令でアルヴィンを不意打ちにしたのだ。それをレナードは確かに知っている。知っていて、今こうして笑っている。

アルヴィンは無言だった。左手の魔石の光が縄を凍らせるが、まだ完全には砕けない。彼の左頬の傷がわずかに開き、血が一筋流れ落ちた。

「お前、前世の記憶を持っているな」

レナードがエリアナに顔を近づける。その目には好奇心と、深い嫌悪が共存していた。

「なぜあの日、毒を盛られたときに死ななかった。そうか、あれから戻ったのだな。だが今生では、さすがに死ぬだろう」

エリアナは震える息をゆっくりと吐き出した。痣の熱が引いていく。代わりに、指先まで冷たく澄んだ感覚が広がった。恐怖が、確信に変わった瞬間だった。

「殿下」

彼女は顔を上げ、まっすぐにレナードを見据えた。

「取引をしませんか」

「取引だと?」

「民衆の前で、真実を語る機会をください。そうすれば、アルヴィンはあなたに従うでしょう」

レナードの目が細められる。彼はアルヴィンを見た。まだ縄は完全に解けておらず、アルヴィンは苦しげに息をしながらも、氷の魔力を抑え込んでいた。レナードは勝ち誇ったように鼻で笑う。

「真実を語るだと? 何を言うつもりだ」

「婚約の正式な解消と、グレイヴ辺境伯への忠誠宣誓です。それを民衆の前で、私の口から」

王妃が椅子から立ち上がりかけた。

「レナード、それは危険——」

「黙れ、母上」

レナードは手で制した。彼の目はエリアナに固定されている。ここで彼女が跪き、婚約を解消し、アルヴィンが忠誠を誓えば、すべてが丸く収まる——そう計算した顔だった。

「いいだろう。バルコニーへ出ろ。近衛兵は配置を固め、一人も逃がすな」

彼は近衛兵に顎で合図した。

「ただし、妙な真似をすればその場で氷の騎士の喉を掻き切る」

バルコニーに続く重い扉が開かれた。

まだ早朝だというのに、広場には大勢の民衆と貴族たちが集まっていた。噂を聞きつけて駆けつけたのだろう。ざわめきが波のように此岸に打ち寄せる。宰相エドマンドが最前列に立ち、何か叫んでいるが、言葉までは聞き取れなかった。

王妃は兵士に支えられながらも、自力でバルコニーに立つ。顔はもはや無表情だ。近衛兵たちがエリアナの両脇を固め、背後では二人の魔術師がアルヴィンの拘束を続けている。彼の左手の魔石はまだ明滅を繰り返していた。

エリアナは一歩前に進んだ。兵士たちが慌てて止めようとしたが、レナードが軽く手を振る。彼はこの場で彼女が何をできると思っていない。

民衆のざわめきが潮が引くように静まっていく。数百の目がバルコニーに注がれていた。

「皆さま、お聞きください」

エリアナの声は震えなかった。この瞬間のために、前世で死んだのだと言ってもいい。

「私はエリアナ・ヴェルデ。レナード王子の婚約者としてここに立っているのではありません。ヴェルデ公爵家の令嬢として、真実を皆さまにお伝えするために参りました」

背後でレナードが動く気配があった。だが彼はまだ笑っている——婚約破棄の宣言だと思っているのだ。

「現在、この国を揺るがす二つの欺瞞があります。ひとつは、レナード王子の出生について」

王妃が息を呑んだのが、すぐ後ろで聞こえた。

「昨夜、旧図書館の秘密文書庫で確認しました。レナード殿下の出生記録簿の頁は刃物で切り取られ、透かし模様に残る魔力紋様は、現王陛下のものとは一致しません」

どよめきが広がる。宰相エドマンドが一歩前に出て、手を上げた。

「証拠はあるのか!」

「この目で確認しました。切り取られた跡と、残された魔力の痕跡を。そして何より——」

エリアナは振り返り、王妃セレナを見た。セレナはまるで生気を失った人形のように、その場に膝をついている。立てなくなったのだ。

「王妃セレナ様が、昨日の朝から私を何度も呼び出し、殿下の幼少期の魔力暴走について執拗に尋ねられたのは、この秘密が露見するのを恐れていたからに他なりません。レナード殿下は——現王の実子ではなく、王妃と近衛騎士の不義の子です」

広場が一瞬、完全な静寂に包まれた。

そしてすぐに、怒号の渦が湧き上がる。人々が叫び、貴族たちが顔を見合わせ、兵士の中にも動揺が走った。宰相エドマンドが何かを近衛たちに命じている。

レナードの表情が、笑みから憤怒へと歪むのに時間はかからなかった。

「黙れぇ!」

彼の右手が魔力の光を帯びて膨れ上がる。

「お前ごときが——あの日、毒で殺せなかったことを後悔させてやる!」

彼の手から漆黒の魔力が放たれた。エリアナに向けて、殺意の塊がまっすぐに飛ぶ。

瞬間、世界が凍った。

空気が悲鳴を上げて凝固し、エリアナの目の前に白い壁が立ち上がる。アルヴィンの氷の障壁だ。彼の左手の甲で、魔石が砕け散り、青白い光が爆発的に四方へ飛び散った。左頬の傷が大きく開き、血が彼の肩を濡らすが、彼は倒れない。

レナードの魔力は障壁に当たって砕け、黒い火花となって霧散する。さらに暴走した氷の魔力はバルコニー全体を這い回り、床を真っ白な霜で覆い、レナードの足を凍りつかせた。近衛兵たちは次々と氷に足を取られ、武器を取り落としてゆく。クーデター軍の兵士たちが氷漬けになり、その場に固まった。

宰相エドマンドがこの瞬間を逃さなかった。

「近衛兵! レナード王子を拘束せよ! 王妃も共犯だ! 今すぐだ!」

最前列にいた近衛兵たちが、動けないレナードに殺到する。彼はまだ何か叫んでいるが、もはや言葉になっていない。王妃セレナは氷の床に這いつくばったまま、顔を覆って震えている。広場では民衆の歓声と罵声が混ざり合い、王宮の古い壁を揺るがした。

エリアナの前で、氷の障壁がゆっくりと溶け始める。表面から滴る水滴が、朝日を浴びて輝いた。

彼女は振り返った。アルヴィンが片膝をつき、左手を押さえている。甲の魔石はもうない。代わりに皮膚に、星型の痣が浮かび上がり、かすかに青白い光を放っている。

駆け寄る。彼の傍らに膝をつき、泣き崩れたい衝動をこらえた。

「アルヴィン……!」

彼のまぶたが震え、わずかに開く。焦点の合わない目がエリアナを探り当て、彼はかすれた声で言った。

「約束を……守れてよかった」

その声は息よりも軽く、すぐに消えた。彼はゆっくりと目を閉じ、そのままエリアナの腕に体重を預ける。彼女は彼の左手を握りしめた。自分の左こめかみの痣が、熱を通り越して静かなぬくもりに変わる。魔石の砕けた跡に残る星型の痣に、自分の指輪をそっと重ねた。二つの印が共鳴して、淡い光を放つ。

「あなたが目覚めたら、すべてを話す」

エリアナの声は涙で濡れていたが、言葉は途切れなかった。

「私の前世も、あなたへの想いも。だから、必ず戻ってきて」

彼女の背後で、宰相エドマンドが数人の近衛兵を連れて歩み寄る。重々しい足音が凍った床を砕いた。

「エリアナ・ヴェルデ公爵令嬢」

彼の声は公式の場にふさわしく、どこか儀礼的な響きを持っていた。

「国王陛下にはただちに報告を上げる。レナード王子と王妃セレナは拘束した。そして——」

彼は一瞬だけ間を置き、バルコニーにうずくまる王妃と、兵士に囲まれたレナードを見下ろした。

「本日をもって、ヴェルデ公爵家の新当主として、あなたの全権限を正式に認める。医療室へ向かわれよ。グレイヴ辺境伯の治療は最優先だ」

エリアナはうなずき、動かないアルヴィンの肩に手を回した。近衛兵たちが彼を支え、慎重にバルコニーを後にする。

レナードはまだ何か叫び続けていたが、もはや誰も彼の言葉を気に留める者はいなかった。広場からは民衆の怒号と、かすかな拍手の音が、凍りついたバルコニーにまで届いていた。

前世で毒殺された公爵令嬢が、今度は氷の騎士を味方に運命を覆す第11話 氷の誓いと破れた血統