ギルドを追放された鑑定士、誰も読めない古代文字を解読し最強遺物を起動する
第1話 石室の文字が灯る
「また割れ石か」
リュートの声が、旧都地下墳墓の最奥に短く落ちた。松明の灯りが壁の影を揺らす。エルナが半歩後ろで足を止めた。
かび臭い空気が喉の奥に貼りつく。床に散った石片を踏むたび、ぱきりと乾いた音が闇に吸われていった。エルナは鞄の肩紐を握り直し、灯りでは届かない天井の高さを仰ぐ。坑道は生き物の食道のように、奥へ進むほど狭く湿っていた。
「ここ、本当に旧都の一部?」
「地図上はな。ただし年代が違う。上層の遺構よりずっと古い」
リュートは壁に手のひらを当てた。指先に残る石の冷たさが、彫り込みの凹凸をなぞるように伝わってくる。彼はしゃがみ込み、床の亀裂に溜まった黒い水を一瞥した。波紋ひとつ立たない水面は、坑道がまだ深く続いていることを示している。
「読めるの?」
「ああ。古代文字だ」
床面いっぱいに走る無数の刻み。ギルドの調査記録では『無価値の割れ石』とされ、誰も見向きもしなかった。だがリュートの目には違う。灰青色の瞳に金色の光が走り、刻みが文字として浮かび上がる。
「一番深い列に、こうある——『名も無き王の息吹、ここに眠る』」
指でなぞった瞬間、文字が淡く発光した。
光は指先から逃げるように筋を描き、床全体へ散っていった。リュートは指を離さない。文字の配列が頭の中で組み換わり、知らない文法が滑らかに意味を結んでいく。彼はもう一度だけ呟いた。
「これは王の墓所、いや、その前室か」
エルナは身じろぎもせず、発光が消えないうちに手控えの紙へ数文字を書き写した。彼女のペン先が走る音だけが、薄明の底でやけに大きく響く。
「下がれ」
エルナが息を呑む。床が割れる。轟音。壁が左右に開き、隠し石室への入口が口を開けた。冷たい風が坑道を駆け抜け、松明の火を一斉に伏せた。
エルナが腕で顔をかばう。風は一瞬で通り過ぎ、あとには火の粉の匂いと、奥から溢れる苔と古い香油の混じった気配が残った。リュートは目を細め、開いた入口の向こうを見据える。暗さは濃いが、どこかで空気が動いている。この石室は塞がっていない。
「開いた」
リュートは短く言った。
すぐには踏み出さず、松明を入口へかざす。光が敷居を越えた先で、磨かれた黒い石がぬらりと光った。部屋の広さは測れない。天井だけが弧を描き、奥へ続く短い階段の輪郭をぼんやり浮かび上がらせていた。
「何か、いる?」
エルナは小声で問う。
「わからない。だが、空気だけじゃない。匂いがする」
「石の?」
「いや、古い布と、乾いた花だ」
エルナが一歩近づく。その肩に、リュートが片腕を添えて制した。彼女は素直に立ち止まり、入口の縁を両手でぎゅっと握る。
通路の奥から石室の中を覗き込もうとした、その時。
「そこまでだ!」
複数の足音。オルト・クレーマンが衛士を率いて最奥に踏み込んできた。エルナの横を素早く通り抜け、石室の入口を背にする位置で足を止める。
「追放された鑑定士が遺物に触れる。これを違法鑑定と言わず何と言う」
オルトの指がリュートへ突きつけられた。
「リュート・ヴァイス。現行犯で拘束する」
衛士が二人、左右から詰める。リュートは動かなかった。
「触れたのは床の石だ。遺物じゃない」
「黙れ。資格のない者に言い訳の権利はない」
オルトの声が坑道に響いた。エルナが一歩前へ出る。
「この調査はハイデマン家の名義で認可を受けています。彼は私の私設依頼を受けた共同研究者です」
「私設依頼だと?」
オルトの口元が歪む。疑いの目がエルナを値踏みする。
「追放された人間に依頼する家があったか。後ろ盾ごと潰れたいか」
リュートが口を挟んだ。
「お前の追放処分、地方支部長単独の決定だ」
「何が言いたい」
「三都市の連名承認がなければ、単独処分は無効になる」
オルトの目が一瞬細くなった。しかしすぐに歩を進める。
「理屈でこの場を逃れられると思うな。石室は差し押さえる」
「おやめください、支部長」
エルナが懐に手を入れた。調査認可状と契約書を取り出し、広げて見せる。
「これが認可状。そして共同研究契約書です。彼の行為は私の依頼による調査活動。違法性はありません」
オルトの視線が書類の上を走った。
「そんな紙切れで——」
言葉が終わらないうちに、エルナの胸元で光が弾けた。
彼女が無意識に握っていた空墓の鍵。それが震え、隠し石室の壁一面の古代文字と共鳴する。青白い光が壁を走り、床の紋様が次々と起動した。
「なに、これ……!」
エルナが鍵を取り落としそうになり、両手で握り直す。鍵が熱い。指の間から光が漏れる。
石室が揺れた。坑道全体が低く唸る。衛士が足を止め、オルトが壁に手をつく。土埃が天井から落ちる。
「おい、何をした!」
「何もしていないわ。鍵が勝手に——」
リュートは石室の中を見た。紋様が脈打つように明滅している。壁の文字は読める。だがその意味までは追えない。
「共鳴している」
「何と?」
「この鍵と、石室の文字とだ」
振動が収まった。オルトが体勢を立て直し、襟の埃を払う。怒りと屈辱で頬が引きつっていた。
「無資格者がなぜ読めた。答えろ」
「答えはさっき見た文字の中にある」
「なめるな」
オルトが一歩踏み込もうとした。エルナが手を挙げる。
「三都市の連名承認なしに、支部長が単独で差し押さえ処分はできません。彼を拘束する法的根拠は消えましたわね」
「調査認可状と契約書で保護されると思っているのか」
「思っていますよ。共鳴は石室が彼の力を認めた証拠。これは共同研究の成果です」
オルトはリュートを睨みつけた。
「……後日、公式記録を本部へ提出しろ。改ざんがあれば貴様の追放どころでは済まさん」
退き際の捨て台詞。それでも拘束の命令を口にできなかったことが、この場の主導権をエルナへ渡している。
「記録は用意してあります。いつでもどうぞ」
エルナが丁寧に頭を下げる。オルトは舌打ち一つ残し、衛士を連れて坑道を戻っていった。足音が遠ざかる。
沈黙が、石室に戻った。
エルナが深く息を吐いて、リュートへ笑いかけた。
「すごいわ。本当に読めたのね」
「ああ。追放理由はこれで覆る」
「ええ。契約成立です。改めて——よろしく、リュート」
差し出された手を、リュートは握り返した。
「こちらこそ。だが、一つ言っておきたいことがある」
「何?」
「なぜ読めたのか。たぶん、俺は——」
言いかけた瞬間、眼球の奥で何かが弾けた。
視界が白く濁った。痛みが頭蓋の内側から突き上げる。リュートは片膝をついた。
「リュート!?」
エルナが腕を掴む。血の気が引いた声だった。
「まだ、何も話していない……」
リュートは途切れる声で言った。白い靄が視界を覆い、エルナの顔すら見えない。
「ええ、何も聞いていない。大丈夫よ、今は話さなくていい」
エルナが背を支える。細い腕に力が入っていた。
胸元の空墓の鍵が、再び打ち震えた。
石室の奥の闇が、低く呼応する。