FeverStory

ギルドを追放された鑑定士、誰も読めない古代文字を解読し最強遺物を起動する

第2話 白濁の代償

視界の白濁は去らない。リュートはエルナの支えを借りて坑道を戻りながら、失敗の原因を反芻していた。目ではなく、話そうとした意志の代償。ならば口を閉ざすのが安全だ。

地上に出ると、夜の空気が頬を刺した。馬車が待っている。エルナは何も問わず、リュートを先に座らせてから隣に腰を下ろした。

「寝てしまいなさい。着いたら起こすわ」

「いや、慣れている」

目を閉じる。闇の中を揺られるうちに、眠りは来なかった。視界の白濁が薄れたのは、ハイデマン研究邸の門をくぐる頃だった。

朝になると、リュートは応接間の隅で目を覚ました。長椅子に身体を預けたまま、服の皺を掌で払う。右眼は霞むが、文字は追える。エルナが前夜のうちに使者を出していたのか、客は早かった。

「護衛候補のガイル・ロッセンだ。ハイデマン家からの文で来た」

大男がテーブルに拳を二つ並べ、前のめりに言った。無骨な革鎧の下で、肩の肉が盛り上がる。傷だらけの拳は元傭兵のものだ。

エルナが応対する。

「条件は昨夜お伝えした通りです。期限は一月、門外の警戒。武器と宿舎は当家で持ちます」

「その前金、倍にしてもらいてェ」

ガイルは唇を舐めた。リュートが体を起こす。

「理由は」

「妹の治療費がある。前金が先に要るんだ。診療所が《光呼び》の儀式を使えるのは、今週だけらしくてな」

ガイルはそう言って、拳を握り直した。嘘はない。指の震えが値切りのそれではない。

「倍で支払え」

リュートはエルナを見た。

「彼の要求は妥当だ。妹の治療が失敗した護衛より、気の済んだ護衛の方が役に立つ」

「あら、私が反対すると?」

「しない。半額は俺の取り分から出せばいい」

エルナは一瞬驚き、すぐ笑った。

「借りが増えるわね」

「後で利子を払え」

ガイルは身を乗り出した。前金を受け取ると、深々と頭を下げて席を立つ。

「必ず妹を助ける。門の外は任せろ」

その背中が扉の向こうへ消えると、入れ違いに小柄な女が通された。年はエルナとそう変わらない。だが視線が紙魚のように素早く室内を走る。

「ミラ・シュトルと申します。ハイデマン様の閲覧室で写本係をしておりました」

「写本係が、なぜ俺に用だ」

「リュート様が昨夜、地下墳墓の石室を開いたと伺いました。それで、こちらを」

ミラが差し出したのは、藁半紙に粗い筆写を重ねた冊子だった。表紙は無い。リュートは開く。見覚えのある罫線と印影。ギルド支部の帳簿と同型の複写だ。

「どこで」

「普段から複製を取っております。原本がいつ焼かれても、私の仕事が消えないように」

リュートはミラの顔を見た。写本係の立場で、支部長の不始末の記録を持つのは命がけだ。

「いくらだ」

「退職金の足しに、金貨五枚を」

値踏みされたな。リュートは口元を緩めた。情報は高く売る。見上げた度胸だ。

「三枚でどうだ」

「四枚と昼食」

「昼食なら応接間で出せる」

エルナがベルを鳴らした。ミラが小さく頷く。リュートはエルナの金貨四枚を数えて、冊子ごと押しやる。

「退室して食え。複写は預かる」

「お役に立てば嬉しいわ。こちらこそ、良い商売でした」

ミラは一礼した。金貨を数える仕草がわざとらしくなく、それでいて充分に素早い。退室の靴音まで間延びなく続いた。

午後、地下実験室。石の壁で囲まれた部屋は、ランプの灯りで橙に染まっていた。

エルナが封印箱を開ける。灰の布に包まれた遺物は、腕の先が欠けた片刃の短剣だった。

「家伝の高階層遺物よ。銘を読めるか、試してほしい」

リュートは鞘から剣を抜いた。柄に近い刀身へ、神代文字が五文字沈んでいる。細く、歪な刻み。読める——が、目に痛い。昨晩の発作が眼球の奥でぶり返す。

「なんと?」

「起動鍵だ」

「意味まで?」

「一番深い列、名も無き王の——」

言葉にした瞬間、剣が唸った。刀身が青白く燃える。文字列が手甲に触れ、リュートの右手袋が指先から裂けた。骨ばった甲の上を金色の紋様が走り抜ける。

視界が、片方だけ落ちた。

右半分が白く塗り潰される。左眼だけがエルナの青ざめた顔を捉えた。剣が跳ね、床を転がって壁に突き立つ。

「リュート、今の!」

「起動した」

「そうじゃないわ。あんたの手」

エルナが布を掴んで駆け寄った。縁の下から救急箱を蹴る。乾いた音が部屋に散った。

「大した傷じゃない。それより剣——」

「実験は中止です」

エルナは有無を言わさぬ調子で布を割いた。温かい指が傷に触れ、消毒液の匂いが醒めた鼻腔へ届く。

「続けられる」

「見せて」

包帯を巻き終えたエルナが、リュートの顎を軽く持ち上げた。右眼を覗き込む。虹彩の縁に白い半円が浮いていた。

「……半濁。昨夜より濃くなってる」

エルナは唇を一文字に結んだ。不安が見えたのは、ほんの一瞬。

「休むより、調べたいものがある」

リュートは机にミラの冊子を置いた。追放処分の頁を開く。墨の掠れた罫線の上を、右手の指先でなぞる。途端、エルナが息を呑んだ。

「これ」

頁いっぱいに並ぶ追放事由と処分署名。その最下段。

三都市連名承認欄が、無記名のまま二重の斜線で消されていた。本人署名の隣に、だれの名前もない。

「消してあるな」

リュートの声が、石壁に低く跳ねた。

ギルドを追放された鑑定士、誰も読めない古代文字を解読し最強遺物を起動する第2話 白濁の代償