ギルドを追放された鑑定士、誰も読めない古代文字を解読し最強遺物を起動する
第3話 消された承認の行方
消されているのは事実だ。三都市の承認欄が、無記名のまま二重の斜線で潰してある。
リュートは頁をめくった。墨水の掠れ、押印の跡。どれも本物の帳簿から丁寧に写し取られている。
「これ、処分の効力そのものを疑う材料になる」
エルナの指が、斜線の上をなぞる。
「誰が消したと思う」
「決まっている。単独で処分を下した男だ」
三日後、銀糸の小講堂。開場前の控室には、磨き抜かれた机と低い燭台が並んでいた。
ミラが写しを差し出す。紙はまだ湿り気を帯び、墨の匂いが鼻先を掠める。
「複製の写しです。原本は私が預かります。公開の場で突き合わせるなら、これをお使いください」
「助かる」
リュートは三枚の写しを受け取った。エルナが隣で目を細める。
「ギルドの帳簿と同型ね。罫線の入れ方まで同じだわ」
「閲覧室で五年、写し続けましたので」
ミラは微笑んだ。その目が値踏みするようにリュートを見る。
「対価は、今日の見物料で結構です」
「見物料?」
「ええ。歴史が動く瞬間を、一番良い席で」
ガイルが控室の扉を開けて入ってくる。肩に帯剣、手には会場の見取り図。
「配置を確認してきた。正面扉に二人、西の回廊に一人だ。裏口は施錠済み」
「オルトは来るか」
「すでに末席にいる。ギルド代表の札を立てて、随分と面白くなさそうな顔だ」
「構わん。今日の主役はあいつではない」
リュートは短く言い、写しを上着の内側へ収めた。
開演の鐘が鳴る。銀糸の小講堂の広間は、貴族と商人で七分ほど埋まっていた。
燭台の灯りが白い壁に揺れ、台座の上の遺物を柔らかく照らしている。古い石環。三日前に、リュートがエルナの家伝庫から選んだ低階層の遺物だ。
彼が台座の前に立つと、会場の私語がすっと引いた。
「これから読むのは、この石環に刻まれた神代文字の起動鍵だ」
リュートは右手の黒革手袋を外した。巻かれた包帯の下で、金色の紋様がまだ淡く浮いている。
「起動鍵は意味ではない。音節の並びと刻印の深浅が、遺物に火を入れる順序だ」
オルトが末席で腕を組んだ。口元に薄い笑みが張り付いている。
リュートは石環を手に取り、五文字を指でなぞって読み上げた。声は低く、広間の隅まで届く。
瞬間、石環の表面に青い光が走った。
環が震え、燭台の火が一斉に傾ぐ。前列の貴族が息を呑み、商人たちが腰を浮かせた。
「光ったぞ」
「あれが起動……本当に読めるのか」
「ギルドの鑑定士でも、あの文字は解けんと聞いていたが」
どよめきが波になって広がる。エルナが満足そうに頷いた。ミラは柱の陰で目を輝かせている。
「これが古代文字の解読という結果だ。誰の認証も要らん。見た者だけが証人になる」
リュートが石環を台座へ戻した。拍手が一つ、二つと起こりかける。
その時、扉が開いた。
「そこまでにしてもらおう」
オルトの声が広間を貫いた。軽装ではあったが、見覚えのある制服の男たちが六人、左右に分かれて入ってくる。
帝都憲兵だ。
「追放処分を受けた男が公然と鑑定行為を行う。これは再犯だ。石環を差し押さえる」
憲兵たちが台座へ歩み寄る。会場がざわつき、貴族の一人が立ち上がりかけた。
リュートは動かない。
「待て。根拠を示せ」
「根拠はお前の存在そのものだ。追放者の分際で、誰の許しを得た」
「ハイデマン家の私設依頼だ。私設依頼は罪に問われない。ギルド規約の基本だろう」
オルトの顎が上がった。
「では、その私設依頼が本当に適正かどうか、調べる時間をもらおう。物は預かる」
憲兵の一人が台座に手を伸ばした。その直前、リュートは上着の内側から写しを抜き、広げた。
「お前の帳簿の写しだ。三都市連名承認の欄が、無記名のまま二重線で消してある。追放処分には三都市の連名承認が要るはずだ」
「な……どこで」
オルトの声が半拍、裏返る。会場の空気が一瞬で尖った。ざわめきが止まり、全員の視線がオルトへ集まる。
「複製だ。原本はギルドの帳簿が焼ける前に取ってある。ここと照合すれば、お前の処分手続きが最初から穴だらけだと分かる」
「偽物だ。追放者の作り話を信じる者など」
「では、原本をここへ出せ。ギルドの閲覧室には今もあるはずだ。正々堂々、照合しよう」
オルトは口を開き、閉じた。
脂汗がこめかみを伝う。憲兵たちも足を止め、上官の顔色を窺っている。
「私設依頼の件はギルド本部の判断に委ねる。本日は遺物だけ差し押さえる」
「質問の答えになっていないな」
「黙れ。記録の不備と再犯とは別問題だ。これは公道上の危険を防ぐ処置だ。連れて行け、遺物を運び出せ」
憲兵たちが動いた。石環が布に包まれ、台座から持ち上げられる。
リュートは奥歯を噛んだ。今ここで実力に訴えれば、オルトの筋書きに乗るだけだ。
だが、この沈黙は敗北ではない。会場の誰もが、この強引な手際を見ていた。
「続きは、いずれ公式の記録の前で戦おう。お前は自分の帳簿の在り処から逃げられない」
リュートの言葉は、オルトの背中に静かに突き刺さった。
憲兵が去った後の控室。蝋燭の火が壁に長い影を落としていた。
エルナとガイル、ミラが戻ってくる。リュートは椅子に腰を下ろし、包帯の上から手の甲を押さえていた。
「お前の手、血が滲んでいるぞ」
ガイルが眉を寄せる。リュートは包帯を巻き直しながら言った。
「大したことはない。それより、石環を運び出す瞬間を見たか」
「見たさ。気味が悪いほど手際が良かった」
「当然だ。予習していたからな」
「……おい、いつから」
「開場前に、な」リュートは目を細める。「オルトが末席でこっちを睨んでいた。あの顔は、差し押さえの手順を確認し終えた顔だった」
エルナが胸元へ手をやった。喉の奥で息を呑む音が聞こえる。
「熱い」
「何がだ」
「鍵よ。空墓の鍵が、さっきから」
エルナが鎖を引き出した。銀色の小さな鍵が、空気に触れた途端、赤く灯る。
リュートの右眼が見開かれた。まだ白濁の残る視界の縁で、文字が浮かんで見えた。台座の石環の下、あの瞬間だけ見えた彫刻の列。
「あの座標は空墓の入口だ」
「座標? どこに」
「石環の台座だ。差し押さえられる直前、神代文字が一瞬浮かんだ。地名と階数、壁の目印まで書いてあった」
エルナの指の中で、鍵の灯りが一拍ごとに強く脈打つ。
「場所が分かるなら、追いかけられるわ。あいつらより先に空墓へ」
「ああ。遺物を運び出した先にあるはずだ。オルトは行先を知らない」
ミラが一歩、身を乗り出した。
「乗りましょう。その情報、商売になります。案内人が必要なら、手配できますよ」
「医者ではないな」
「必要とあらば」
ガイルも剣の柄を握り直した。妹の顔を一瞬、思い浮かべたようだった。
「俺は行く。姉の治療費は、まだ足りないままだ。遺物の山で宝の一つも拾えれば御の字だ」
リュートが立ち上がる。裂けた手の甲へ新しい包帯を噛み切って巻きつけ、拳を握った。
痛みはまだ残っている。だが足は動く。右眼の白濁が、この瞬間ばかりは道標のように澄んで見えた。
「行くぞ。夜が明ける前に、遺物の在り処へ」
エルナの胸元で、鍵が一際赤く輝いた。