ギルドを追放された鑑定士、誰も読めない古代文字を解読し最強遺物を起動する
第4話 空墓の入口
「待て」
リュートは立ち上がりざま、包帯を噛む手を止めた。控室の蝋燭が揺れ、壁の影が一斉に傾ぐ。
「表門は封鎖されている。憲兵が去った後、外で馬車の音が三台分、止まったまま動いていない」
ガイルが窓の板を細く開けた。夜気が滑り込み、火がまた揺れる。
「裏手もだ。巡回が二組、路地の東西に配置されてやがる」
「オルトの私兵か」
「憲兵の制服だが、動きが揃いすぎている」
エルナが鍵を握り直した。赤い灯りは彼女の指の間から漏れ、床に血のような明かりを落とす。
「旧都への門は今夜、閉じてから夜明けまで開かない。私の名義でも通れないわ」
「門を通るか。地下経路はないのか」
ミラが帳簿を抱えたまま口を開く。
「旧都の地下墳墓へは、銀糸の小講堂の真下から伸びる古い参道が使えます。昔の貴族が遺物を運ぶのに使った道で、今はほとんど誰も知りません」
「どのくらいで着く」
「人ひとりが通れる幅で、第Ⅸ階層までなら一刻半。ただし照明がありません」
リュートは机に広げたままの複製帳簿の写しを手に取る。ミラは原本と写しを左右に並べ、指で処分頁を押さえた。
「この三都市連名承認欄、無記名のまま二重線で消されています。公式記録にあれば処分は根拠を失う。証拠保全書として、今ここで写しと原本の照合を認めます」
ミラが羽根筆を取った。紙をなぞる速さは迷いがない。
「写しはリュートさんがお持ちなさい。原本は死んでも離しません」
「死ぬな。空墓まで来るんだろう」
「商売が先です。ただし、その入口が本物なら前金は倍いただきます」
ガイルが床へ剣の先を置き、静かに笑った。
「欲が深いな」
「貧乏人は欲だけで生きてるんです」
リュートは写しを上着の内側へ収める。右眼の奥に痛みが走り、視界の縁が一瞬、灰に沈んだ。
「エルナ。王都の審査官に連絡は取れるか」
「イリス・ヴァールなら、うちの家が後見人をしていた縁がある。すぐに封緘短簡を出すわ」
エルナが机へ向かい、短い文をしたためる。封蝋に落ちた赤い火の粒が、鍵の灯りと同じ色をしていた。
「救援と審査の依頼よ。三都市連名の予備審査権を持つ審査官で、遺物案件に実績がある」
「信用できる相手か」
「オルトの顔を覚えていて、嫌っているわ」
ガイルが外套を翻し、先に立った。
「表門の連中が動く前に行くぞ。灯りは俺が持つ」
参道は講堂の地下貯蔵庫の奥、古びた壁の裏に口を開けていた。ミラの案内は正確で、明かりのない通路をリュートたちは早足で進んだ。
時折、リュートの耳に路面上を走る蹄音が聞こえた。憲兵の馬だとわかったのは、甲冑の擦れる響きが混じっていたからだ。
「嫌に急いでるな」
「差し押さえた遺物の護送か、俺たちの追跡か」
「多分、両方だ」
第Ⅸ階層の手前で、空気の質が変わった。冷たく、埃の味が薄れ、代わりに微かな甘さを含む。
「止まれ」
リュートが言った。
ガイルが剣を抜く。ミラはランプを壁寄せに下ろし、帳簿を外套の下に抱え込んだ。
前室は広く、天井が闇に消えている。壁一面に古代文字が刻まれ、床は一枚岩だった。
エルナの鍵が鎖の上で跳ねるように震え、光が壁へ届くと、文字が内側から金に透けた。
「鍵を壁へ」
エルナが一歩前に出た。鍵を掲げると、光は壁から床へ流れ、一枚岩の中を走る。
リュートはその流れの中に、崩れた記号の列を見つけていた。
「読めるな」
「ああ」
声に出して読む。音節が前室に落ちるたび、床の岩が鳴く。
「地の底の名も無き王、ここに息を返すは——」
岩が割れた。中央が沈み、左右の壁が大きく後退し、階段が現れる。上からではなく、どこか別の場所へ続くように。
「これが空墓の入口か」
ガイルの声が湿った。ミラは息を呑むだけだ。
そして、階段の暗がりから歩く音がした。
一人分ではない。
灰の甲冑が、ゆっくりと明かりの中へ歩み出る。面甲の奥に目はなく、黒い空洞がこちらを見ていた。高さはガイルより頭一つ大きい。
守護者が、エルナの前で膝をつく。鎧の摩擦音が前室を満たし、床に一礼の形を残した。
「認められた。あんたが管理者候補だ」
ガイルは剣を下ろさない。
「こいつは起動したのか」
「エルナの血筋に応答した。まずいな」
「何がまずい」
「ここまで派手に床を割れば、地図と探知遺物で場所が割れる。オルトもまっすぐ来る」
リュートが振り返った時、すでに足音がしていた。
「よくも旧都の禁域を荒らしてくれたな」
坑道の奥から、封鎖部隊が喇叭を鳴らして前室へ流れ込んだ。
オルトは先頭に立たなかった。兵の壁の後ろで、声だけを響かせる。
「空墓の入口を開いたのは貴様らだ。不法占拠、禁域への侵入、王権級遺物の無断起動——三つ同時だぞ」
「追放処分が無効なら、禁域だろうが何だろうが調査範囲だ」
「まだ言うか。無資格の分際で」
オルトの声が笑った。「入口を確保しろ。血筋の小娘から鍵を奪い、全員縛り上げて連行する」
灰甲冑が立ち上がる。動作は遅いが、床の揺れとは別の重さがあった。
リュートは静かに言う。
「血筋証明をここでする気か、オルト」
「黙れ。お前の言葉は現行犯の記録にすら残さぬ」
オルトが兵の肩を押し、前室の端へ進み出た。外套の下で何かを落とし、足で床の窪みへ蹴り込む。
その瞬間、天盤が鳴った。
一粒の砂が落ち、次に腕ほどの岩が。兵が顔を上げ、誰かが叫ぶ。
「支部長、これは——」
「崩落だ。不法占拠者に免許はない。入口を塞ぐ」
オルトはそう言って後退し始めた。
「エルナの血筋証明を奪うのは入口の確保だ。貴様らが開けなければ、血筋の証明など闇に消える」
天盤が連続して落ち、封鎖部隊が逃げ惑う。灰甲冑が両腕を上げ、落ちる岩を砕き、防いだ。
「退路がねえ!」
ガイルが叫ぶ。ミラは帳簿を抱えて壁に背をつけた。
リュートは前に出た。目を閉じて、まだ残る視界の縁で壁の文字を追う。
起動の刻印と同じ、外郭制御の列が浮かんでいた。
「一日起動は一度だけだ。お前の代償はそれで済まないぞ」
エルナの声に、リュートは短く返した。
「ここで使わなきゃ、外郭ごと埋まる」
二度目の読み上げが始まる。声は崩落の轟音を割り、岩の叫びに混ざって、前室を巡る。
手の甲の包帯が裂けた。金色の紋様が走り、血が飛ぶ。
視界が真白になった。文字の輪郭だけが、淡い金の筋として残像に残る。
最後の音節を読み終えた時、天盤の動きは止まった。
崩れかけた岩が空中で支えられ、床へはいっさい落ちない。
外郭制御が働いたのだ。
リュートは膝をついた。目の前が白く濁り、立ち上がれない。
「リュート!」
エルナの声が二重に聞こえ、遠い。
「生きてる。大丈夫だ」
「血が、手が裂けてる」
「早くしろ。制御は長く持たない」
ミラが這うように寄って、壁の記録を素早く書き写していた。
「記録改ざんの現物を確保しました。でも、あの男——」
ミラの指がオルトの消えた方向を示す。
「今ので、何か落としました。重そうな塊を蹴ってました。壊れてなければ証拠になります」
ガイルが岩を乗り越えて確認に行き、小さな箱を拾い上げた。開きかけた口を、黒い革で強く縛った箱だ。
「開かない方がいいな。嫌な気配だ」
「崩落の爆薬か、遺物か」
「さあな。これは俺たちで持ち帰る」
半刻後、前室は静かだった。
崩落の粉塵がゆっくりと沈み、誰かが壁を叩く音がする。叩き方に規則があり、坑道の向こうから小柄な人影が現れた。
銀の短杖と黒い詰め襟。腰に吊るした認証板が、前室の薄明かりに白く浮かぶ。
「エルナ・ハイデマンの封緘短簡を受けた。三都市連名の予備審査権、イリス・ヴァール」
声は軽いのに、よく通る。
「現地の証拠を保全します。遺物、入口、そしてあなた方の負傷。動かないで」
イリスはオルトを見つけた。二人の兵に付き添われ、退がりかけていた背中が止まる。
「オルト・クレーマン。あなたに伝えます」
銀の巻紙が開かれる。
「三都市連名による公開審査を開催する。場所と日時は追って命ずるが、前室で判断する。あなたの単独処分は予備審査の対象です」
「予備審査だと。私を誰だと思ってる」
「鑑定士ギルドの支部長。だからこそ、令状をここで切る」
イリスは表情を崩さない。
「退去しなさい。いま攻撃行動を継続すれば、審査前に拘束される」
オルトは一歩、後ろへ退がる。さっきまで蹴っていた窪みを、もう一度だけ振り返った。
外套の下に、箱のような塊を隠している。リュートの白濁した視界でも、それが外からは見えない。
「おい、行くぞ」
オルトは兵たちを連れ、崩壊しかけた坑道へ消えていく。
イリスはその後ろ姿を見送ってから、リュートの前でしゃがんだ。
「手の甲が裂けてる。瞳孔の金色が濁っている。これが遺物起動の代償か」
「らしいな」
「今は目を閉じなさい。話はそれからだ」
エルナがリュートの肩を支えた。血の滲む手を包帯ごと握られ、熱が伝わる。
「開いたわ。空墓の入口が、この手で」
「ああ。そしてあいつは、自分の足で審査へ進み始めた」
リュートは視線を動かした。白濁の先で、オルトの外套の端が、崩落の粉塵と一緒に揺れる。
外套の下の塊は、兵たちからも隠されている。
「あれか、次の手は」
リュートの声を、イリスだけが聞いていた。
「彼の手が、あなた方全員を審査で縛る前に戻ってきなさい」
イリスが立ち上がる。灰甲冑の守護者が前室の入り口へ歩み寄り、低い音で壁を一度だけ叩いた。
それが夜明けの合図のようだった。