FeverStory

外れスキル『翻訳』で魔物と会話できた俺が、伝説級と契約して大陸最強に成り上がる

第2話 対等の名、獣の契約

坑道の冷たい空気が動いていた。深部から押し上げられた風が、たいまつの煙を渦巻かせ、ソーマの頬をなでる。王都地下遺跡の出口はすぐ上だ。

「行くぞ、ガルド」

「正気か。あの咆哮が聞こえたんだぞ」

「聞こえた。だから行く」

ガルドが肩に回した腕に力を込めた。痛みを堪えている顔で、それでもソーマの進路を塞ごうとする。

「隊は生還が優先だ。地上へ報告するのが筋だろう」

「報告してからじゃ遅い。これは命令じゃない。俺の選択だ」

ソーマはガルドの腕を外させ、たいまつを壁の切れ目に差し込んだ。

「お前は先に上がれ。石段はもう見えている」

「魔物の縄張りに一人で戻る気か。無謀が過ぎる」

「無謀で済むなら御の字だ。俺には聞こえている。あの声は『同胞を返せ』と叫んでる」

ガルドの表情が強張った。嘘を疑う目ではない。理解が追いつかず、それでも否定できない目だ。

「……魔物語か」

「そうだ。だから俺にしかできない」

ソーマは腰の黒いスレートに手を触れ、指先で刻まれた文字の溝を確かめた。

「出口まで行って、動ける探索者を二人連れて来い。ただし中へは入れるな。階段の上で待機だ」

「貴様を置いていくのか」

「置いていけ。俺が逆なら下手に付いて来られる方が危険だ」

ガルドは一瞬、何かを言いかけて押し殺した。堅い表情のまま拳を握り、踵を返す。石段を上る足音が、思ったより速い。怒りが脚を動かしている。

ソーマは深部へ向き直った。たいまつの明かりが届かない闇が、鼓動のように呼吸している。一歩踏み出すごとに、翻訳スキルが空気の震えを拾い始めた。

「……来たか」

低い声が闇から降ってきた。岩甲獣のそれと違い、響きが鋭い。白銀の毛並みをちりめんのように逆立て、リュカ・ハウルネアが天井近くの岩棚から見下ろしていた。

「話がしたい」

ソーマは両手を開いて見せた。武器は持っていない。剣すら帯びていない。

「人間が我の言葉を。面白い。来る途中の岩甲獣も、貴様に追跡を許したそうだな」

「お前はそれを知ってるのか」

「匂いで分かる。あの鈍重な奴の怒りが、別の獲物へ向いている。貴様が差し向けた」

リュカの尾が岩を打つ。金属じみた音がして、小さな石片が落ちた。

「私に交渉を持ち込む人間は初めてだ。たいていは叫ぶか、剣を向けるか、逃げるかだ」

「交渉じゃない。対等な契約の話だ」

「契約」リュカの目が細くなった。「人間が魔物と契約を? 支配の証でも望むか」

「違う。俺の真名を先に渡す。命令は三つまで。お前の意思を無視した強制はしない。殺さない。条件は対等だ」

リュカが岩棚から飛び降りた。着地の衝撃でソーマの足下が揺れる。白銀の獣は二足歩行に近い姿勢で、目線はソーマを頭一つ分見下ろしていた。

「なぜ人間を信じられる。貴様の種族は、我々から群れを奪い、土地を奪い、最後は命まで奪う」

「信じろとは言えない。でも、俺は欲しいものを正直に言う」

「何が欲しい」とリュカが唸った。

「お前の力だ。そして人間と魔物が対等に契約できる証明が欲しい。俺の翻訳が無能扱いされないためにも、お前の真名が必要だ」

「翻訳。その力が魔物語を読むのか」

「読む。だから今、お前の気配の奥に真名の輪郭が見えている。言葉にするのはお前だ。俺はその音を正確に受ける」

リュカの喉から振動が漏れた。警戒と興味がない交ぜになった低音だ。

「私の真名を差し出せば、貴様は何を返す」

「卵と縄張りを返す。岩甲獣の奪われた卵を密猟者から取り戻し、ここの安全を人間の側から担保する。それと、対等の契約だけを求める。隷属は要らない」

「人間が縄張りを守るなど、寝言にもならん」

「寝言ならもう帰っている。俺は骨を折ってでも、お前をここに縛らない形を選ぶ」

長い沈黙が下りた。たいまつの火が、リュカの銀毛に反射して青白い輪郭を縁取る。

「……群れを失った獣を追い回すのが人間だ。私は、その最後の一頭だった。だから地上の理は知り尽くしている」

リュカの声に、初めて怒り以外の感情が滲んだ。

「同じさ。俺も、無能の烙印を押されて最後まで追い詰められてきた」

「笑わせるな。人間同士の話を持ち込むな」

「持ち込まない。お前が信じるかどうかも、俺の知ったことじゃない。ただ、真名を渡せ。対等の契約なら、お前が嫌がれば破棄できる。俺の束縛は三命令まで。それ以上は契約が暴走する仕組みだ」

リュカの耳が微かに動いた。ソーマの言葉を魔物語としてではなく、その真偽を探るように。

「私の真名を呼べたとしても、貴様に繋がる魔力経路が保つとは限らん。死ぬかもしれんぞ」

「それなら、上の男が面倒を起こす前に終わらせる」

「……我を騙すな。真名を、差し出す前に」

獰猛な睨みだった。だが、攻撃の姿勢はなかった。ソーマはゆっくり息を吐き、腹の底から声を出した。

「俺の真名は、ソーマ・イツキ。魔物語で言うなら——」

翻訳スキルが口の形を導く。喉の奥が熱を持ち、人間の舌では再現できない震えが体を走った。

「――ゾオマ・イツキ。この音でお前の真名を探す」

リュカの全身が総毛立った。拒絶でも威嚇でもない。契約の前兆に、野生が本能的に反応している。

「……リュカ・ハウルネア。この音が私の産声に刻まれた真名だ。私の言葉で、私から教えた」

「ああ。お前が自分で出した。それで十分だ」

ソーマはその音を頭の中で反芻した。魔物語の響きが回る。少しも崩さない。さっき翻訳が捉えた輪郭と寸分も違わない。

「契約文を置く。互いに名乗った。命令は三つまで。破棄条件は対等の合意か、どちらかの死。お前が望まない命令は抵触しても効かない」

「その条件、人間が素直に守れると思うか」

「俺は守る。守れなければ意味がない」

リュカが低く笑ったように見えた。尾が一度、地面を打つ。

「ならば、ソーマ・イツキ。我が真名を、お前の声で呼べ。私の言葉を壊せば、その場で腹を裂く」

ソーマは一歩踏み出した。空気が凍る。リュカの魔核が、まだ暗い光を帯びる。

「リュカ・ハウルネア」

魔物語の音が、喉の奥を裂いて出た。リュカの銀毛が逆巻く。

「――我が名を、記せ」

リュカの胸元が裂けた。魔核片がひとつ、白い光を曳いて零れ落ちる。ソーマの手のひらに落ちた瞬間、痛みとも熱ともつかない一線が二人の間で弾けた。視界の端で、魔物語の文字が浮かんでは消える。

上の方でガルドの声がした。だが、聞こえなかった。リュカとソーマの間だけで、何かが噛み合って回っている。契約は成立していた。

――ギルドは夕暮れ前の雑踏に沈んでいた。遺跡から戻ったソーマの右肩には白銀の獣が付き従い、左薬指の魔核リングが時折り淡く脈打つ。カウンターに近づくと、職員の手が止まった。

「伝説級契約者登録を申請する。この魔核片はリュカのものだ。対等な真名契約に基づいて譲渡された」

「そ、冗談は夜だけにしてください」

「冗談で来るか」

受付の奥から、重い足音が割り込んだ。真鍮の胸甲を光らせた男が、畳んだ討伐官令を片手に立っている。

「王国討伐官マティアス・グレインだ。その白銀の魔物は危険指定だ。討伐官令により接収する」

「指定の根拠は」ソーマは振り返らずに言った。

「深部の咆哮は広域に観測された。王都の地下ですぐに討伐もできず、なにより魔物がギルドへ入るなど前代未聞だ」

「今まではな」

マティアスの手が腰の剣にかかった。

「強制命令で従えてるんだろう。魔物が自ら人間へ付くはずがない」

「間違いだ。対等契約だ」とガルドが踏み込んだ。「俺は現場で見た。真名を互いに名乗り、魔核片の分離を確認している。命令に縛られた動きじゃない」

「傷ついた探索者が何を言う。魔物に肩を貸された程度で誑かされるな」

その言葉に、ガルドの目が冷えた。だが、抜剣はしない。ソーマが制するより先に、小さな影がカウンターへ滑り込んだ。

「観察記録です。契約発動時の波形と魔核分離の光、対等合意の条件をすべて書き留めました」

エルナが紙束をカウンターに広げる。マティアスの視線が、記録の一点で止まった。

「私の観測はギルドの調査と照合できます。討伐官令による接収は手続きとして不当です」

「……ふざけた茶番だ」

「茶番で魔核片が手に入るか。お前の持つ令の方がよほど安っぽい」

ソーマが静かに言い放った。マティアスは唇を噛み、令を握る指が白くなる。

「認められればいい。王国への報告は、私が必ず上げる。その時は逃げるな」

「逃げる理由がない」

マティアスが去る。ドアの音が高く鳴り、沈黙が広がった。

登録官が魔核片を調べ、エルナの記録を読み、ガルドの証言を聞いた。

「規約上、対等契約の前例がありません。ですが魔核片の繋がりも、記録も、明らかに真正です。暫定で登録します」

薄茶の台帳が開かれた。ソーマ・イツキ。大陸初の伝説級契約者。暫定証が手渡される。

「ありがとう。それで構わない」

リュカが隣で鼻を鳴らした。

「人間の儀式は遅い」

「初めてだからな」

下層の鐘が鳴ったのは、その直後だった。名も知らぬ若い職員が西の窓から駆け込む。

「下層街の迷宮が破れています! 魔物が——」

ソーマはリュカと目を交わす。

白銀の獣が、初めて笑みの形に口を開いた。

外れスキル『翻訳』で魔物と会話できた俺が、伝説級と契約して大陸最強に成り上がる第2話 対等の名、獣の契約