外れスキル『翻訳』で魔物と会話できた俺が、伝説級と契約して大陸最強に成り上がる
第3話 偽りの真名
迷宮破れを止めるには、まず探索者どもを止めるのが先だ。
下層街の夜道を駆けながら、ソーマはそう判断した。隣を白銀の獣が並走している。リュカの蹄が石畳を砕く音が、避難鐘の余韻を断ち切っていく。
「先に行け。威圧はいいが喰うな」
「この私を誰だと思っている。群れの分際に手は出さん」
背後のガルドは負傷の脚を引きずりながら、それでも置かれまいと食らいつく。エルナは後方の高台へ観測板を据える算段を、すでに走りながら指示していた。
下層街の西、隆起迷宮の崩落口が見えてくる。若い探索者が剣を抜き、崩れた岩の陰から出てきた土甲獣を囲んでいる最中だった。
「討て! 数が増えるぞ!」
「待て」
ソーマの声は、喧騒の上を静かに通った。
「騒ぎを大きくしたいのか。壁の崩れと魔物の向きを見ろ。あれは人を追っていない」
探索者たちが一瞬止まる。そこへリュカがゆっくり踏み出した。白銀の体毛が月光を弾き、狭い通りに別種の威圧が満ちる。
剣を振り上げた若い男が、声を失った。
「聞け。お前たちが殺すべきものと、ここで守るべきものが逆だ」
「なにを……」
「魔物は迷宮から溢れてくる。だが、あの土甲獣は追われる側だ。何かが奥で暴れてる」
ソーマは崩落口へ向き直った。耳の奥で、叫び声が二重に聞こえる。一つは人々の怒声だ。もう一つは——。
『来るな、来るな、われを縛る音が、われの真名を引き裂く』
低い唸りが、土甲獣の口から漏れていた。翻訳が意味を組み立てる。縛る音。真名を引き裂く。
ソーマの足が止まった。
「おい、どうした」とガルド。
「……聞こえる。この破れは自然発生じゃない可能性が高い」
「根拠は」
「あの土甲獣が、『われを縛る音が真名を引き裂く』と叫んでる。訳すなら、誰かが無理やり命令を流し込んでる」
ガルドの顔が戦闘中のものに変わる。リュカが鼻先を崩落口へ向け、低く唸った。
「英雄気取りは後にしろ。嫌な匂いだ。下るぞ、ソーマ」
「わかっている」
崩れた岩の隙間に、人の肩幅ほどの穴が開いていた。奥から湿った古代の土と、錆びた血の匂いがした。
「ガルド、入口を押さえろ。探索者を下げろ。エルナには震源の変化を読ませろ」
「一人で行く気か」
「独りは嫌か」
リュカが前に出た。白銀の輝きが暗い穴へ滑り込んでいく。
「下るならさっさと下る。王都の砂利道より、ここの方が落ち着く」
ガルドは唇を噛み、剣を杖代わりに立った。「無茶はするな」
「死ぬ気はない。上を頼む」
ソーマは黒い外套の裾を払い、穴へ身を屈めた。エルナの観測板から、光の信号が肩を越えて壁を照らす。
「残響、東に寄ってます。足音に気をつけて」
声を背に、ソーマとリュカは古代地層へ下りた。
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抜け道は地下水で濡れていた。壁は削れた石と赤茶けた土の層が重なり、王都のどこよりも古い空気が沈んでいる。リュカの歩みに合わせ、爪音が狭い空間へ反響した。
「お前の翻訳、どこまで拾う」
「近づけば言葉として読める。ただし感情が強いと、塊のまま流れ込む」
「さっきの土甲獣は、どちらだ」
「正気の恐怖だ。正気のまま壊されかけてる」
リュカが短く息を吐いた。
「偽物が真名を真似るなど、腹立たしいのう」
ソーマは横壁へ手を当てて止まった。指先に残響が触れる。規則的な音の組み合わせ。確かに命令になりかけているが、どこか音節がずれていた。
「本物を聞いたことがある。リュカ、お前の真名はもっと重く、固有の響きだった」
「褒めるな。気が散る」
「分析だ」
二人は黙って進む。空気が一段と冷えた。壁の石が青白く光っている。古代遺跡の発光石だ。
そのとき、足元の小石が一つ転がった。上から音もなく、小さな影が舞い降りる。
「おっ、白銀の獣と翻訳さん。思ったより早かった」
ソーマは腰の小型スレートへ手を掛けた。リュカが唸りかけるのを、手で制す。
「名を言え」
「ピケ。石と文字の拾い屋。案内が要るだろ、核室までの抜け道」
「何のために」
少年は薄い笑みを浮かべ、崩落口の奥を親指で指した。
「あれ、核が塞ぎにゃ止まんない。俺は古代文字に興味がある。きみみたいな面白いやつの役に立ったら、記録の一つも分けてくれるっしょ」
ソーマは少年を一瞥した。装束は使い込んだ遺跡作業着。手の指先は石の粉で白く、腰の袋から小さな錐と写し紙が覗いている。
「案内しろ。ただし俺の指示に逆らうな」
「了解。足音より先に、この道の癖を見せてやるよ」
ピケが先に立ち、壁の発光石を指先で三回叩く。奥でカチリと音がして、人の幅ほどの裂け目が開いた。
「古い道だ。王国が来る前の古い。核室まで、崩落で塞がってないのはここだけ」
「偽命令の音源は近い。そうだな」
「多分、核の裂け目。石と一緒に共鳴してる音がする」
ソーマは本物の真名の音を一つ、口の中で転がした。リュカの真名契約が強めたその響きを、偽物と照合する。
「真名を模した偽の呼びかけだ。音節の端を人間の耳で補正して、命令として通してる」
「なんでわかった」
「本物を知ってる者には濁る。命令を流すほど、逆に正体がわかる」
裂け目を抜ける。空気に熾の匂いが混じり、地面が不規則に震えていた。迷宮核が近い。
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核室は広い岩洞だった。中央に青黒い柱、迷宮核が立っている。周囲の石畳に幾筋ものひびが走り、壁からは白い蒸気が漏れていた。
そして、核の手前で蠢く巨大な影。
岩甲の守護者。人の三倍はある鎧のような甲殻に、ひび割れた結晶が埋まっている。両腕を核へ振り下ろそうとしては、半ばで震えて止まっていた。
『われを、放し……真名が、われの、われの……』
苦痛の声が、ソーマの胸へ直接届く。
「聞こえている。俺は翻訳を持つソーマ・イツキ。迷宮核守護者よ、真名を名乗れ」
『……真名を、われの口から、もう、われの音が……』
「命令は聞かぬ。ここは対話だ。囚われているなら、吐き出せばいい」
リュカが横へ出て、静かに吼えた。言語にならない威圧ではなく、同じ魔物としての共鳴音。
守護者の巨体がびくりと揺れた。
『……エグリム。われの真名は、エグリム。だが……偽の音が、われの喉に、まだ……』
「エグリム、偽の音を寄越した石はどこだ」
守護者が痛みに軋みながら、核の根元を指した。青黒い柱の裾、ひび割れの中に、黒い石片が食い込んでいる。
「ピケ」
「既視感のある石だな、これ」
少年が核の根元へ這い寄り、錐と布で石片を慎重に外す。瞬間、耳の奥で何かが潰れるような叫びが響き渡った。
ソーマは前に出た。肺を満たし、守護者の真名を魔物語で正確に呼ぶ。
「エグリム」
音が、岩洞に波紋を作った。偽の音節と本物が、一瞬ぶつかる。そして偽の声は、まるで痙攣するように消えた。
守護者の腕が落ちる。甲殻の震えが止まり、眼球の結晶から白光が柔らかく漏れた。
『……名を、返された。われは、もう……縛られぬ』
巨大な体が膝を突き、静かに横たわる。核室の揺れが止まった。
リュカが鼻を鳴らす。
「雑な仕事だな。石片ひとつで、よくも我らの真名を」
ソーマは左前腕の擦過傷へ血が伝うのを、腕まくりで確かめた。いつの間にか崩れた岩の破片で切っていた。
「エグリムは眠った。共鳴は止んだぞ」
「ああ。上の探索者どもも手が出なくなる」
ピケが石片を布に包み、ひらひらと持ち上げた。
「証拠、俺が運ぶって言ったよな。なら、この石、預かっていい?」
「許可はする。ただし失くすな。あれは誰かを貶める材料でもある」
「へえ、物騒。気に入った」
三人が地上へ戻ると、夜風が淀みなく抜けた。ガルドが崩落口で警戒を解いていない。土甲獣たちの姿は遠く、迷宮の揺れは完全に止んでいる。
「終わったのか」とガルド。
「守護者が眠った。安全確認と報告が要る」
「わかった。下層街支部を開けさせる。お前は資料室へ行け。エルナも待っている」
ソーマはリュカと視線を交わす。返事の代わりに、獣は先に路地を歩き出した。
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翌日の夜。王都探索者ギルド資料室は、蝋燭の火と観測板の青い光だけで満ちていた。
ガルドは下層街支部で安全報告を済ませ、ピケは石片を机の上へ丁寧に置いた。エルナが観測データの複製を二つ広げ、石片の置かれた台座へ手をかざす。
「波形を照合する。私の記録と、石の共鳴線が重なるか」
「違うなら違うで、何か出る」とソーマ。
「それは楽しみ。この石、寝かせていたら勝手に唸るんだぜ」
ピケの言葉に、リュカが耳を伏せた。
「妙な物を置くな。臭いが古い」
「古いって言われても、そういう石だから」
エルナが石片を台座へ置いた。青い観測板に、夜の遺跡から採取した波形が流れる。何本もの線がねじれ、突発的な山を作り、次第に鏡のように重なっていく。
「一致してる。この石が呼び掛けの媒体ですね」
「命令の音節が石に残る。そして、その形が」
ソーマの指が、波形の一点を追った。ねじれた線が、偶然に似た形を作り始める。渦巻きと文字の中間。何かの紋章だった。
「エルナ、右の山を重ねられるか」
「少し……待って、これ」
エルナの手が止まった。観測板の光を受けた波形がくっきりと、一つの形を浮かび上がらせる。神学校で見る印章に似た、未知の真名文字。
ソーマとエルナは同時に息を止めた。資料室の空気が、一枚硬くなる。
「……これ、神学校の」とエルナ。
「確定の根拠はまだ無い。だが、真名文字だ。自然には発生しない形をしている」
波形はゆっくりと、同じ文字を描き続けている。リュカが低く吼え、ピケは一言も発さなかった。