FeverStory

処刑の朝に十年前へ戻った悪役令嬢が、今度こそ婚約破棄を選んだのに、断罪した第二皇子が手放してくれない

第2話 毒見役の静かな一撃

日傘の黒いレース越しに、濡れた土と刈り込まれた薔薇の匂いが混ざって届く。聖アデル女学院の中庭は、昼前の光に白く灼けていた。リーゼロッテは石畳の端で足を止め、噴水の向こうから聞こえる声に眉を寄せる。

「毒見役はあなたの務めでしょう。聖女候補ならお茶の一杯も捧げなさいな」

黄薔薇の髪飾りを揺らした令嬢が、小柄な少女の肩へ手を置く。少女は茶色の巻き毛を震わせ、手にした銀の盆を胸の高さで握りしめていた。下げた視線は地面を這い、唇だけが微かに動いている。

「あの、でも、私は毒味の心得がまだ……」

「聖女候補が毒も見抜けないの? 教会派の方々が呆れるわよ」

別の令嬢が笑い、三、四人の取り巻きが一斉に少女の背を噴水の縁へ押しやる。リーゼロッテは日傘を閉じた。石畳に傘の先を鳴らし、背筋を伸ばして歩み出る。

「茶会の毒見役が要るなら、私が預かりましょう」

声を張ったのは一度きり。それでも中庭の空気がひび割れるように静まった。黄薔薇の令嬢が振り返り、顔色を消す。

「エルトベルン公爵令嬢……?」

「聞こえなかったの。毒見役は私が預かる、と申し上げたはずよ」

リーゼロッテは令嬢たちの間を割り、少女の腕を自分の側へ引き寄せる。少女の指は冷え、銀の盆がカチリと鳴った。紫紺の瞳が真正面から自分を怯えて見上げてくる。あの目は、知っている。十年前、誰にも手を差し伸べられなかった自分が、鏡の向こうで同じ色をしていた。

「下がりなさいな。場をわきまえて」

黄薔薇の令嬢は言い返そうと口を開き、しかしリーゼロッテの表情を見て一歩後退る。その場にいた全員が、彼女の唇の薄い紅より、声に宿る奇妙な静けさの方を恐れた。

「お茶会の主導権は、あなた方の毒見役が決めるのではなく、あなた方の主人が決めるものよ。今日のところはお引き取りなさるのが、ご婦人方の名のためでしょう」

令嬢たちは互いに目配せし、足早に散っていく。噴水の音だけが残った。

リーゼロッテは少女から手を離したが、すぐには離れられなかった。少女が袖口を掴んだのだ。

「どうして」

少女の声は掠れていた。その問いに答えず、リーゼロッテは中庭を出るまでずっと傍らを歩いた。

午後の正門前は、陽射しが石塀に焼きついていた。父の馬車から名を呼ばれ、リーゼロッテは日傘を傾ける。馬車に乗り込むと、クリストフ・フォン・エルトベルンは一人で向かいに座っていた。御者台の影でエルナが控えている。

「お前、マリアンヌ・ベルンシュタインを庇ったそうだな」

「庇ったのではなく、毒見役の席を彼女から取り上げただけです。教会派の茶会の駒にされる前に対処しただけのこと」

「それでお前が狙われる」

クリストフは窓の外に一瞥をやり、封印蝋の厚い封筒を差し出す。彼の指には馬の手綱の跡がまだ残っていた。

「旧時計塔の看守名簿の写しだ。王都に残るというなら、持っていろ」

リーゼロッテは封筒を受け取る。思ったより重い。名簿だけの分量ではない。

「父上、これは」

「読み終えたら焼け。原本は公爵家の書斎へ戻す。お前に持たせるべきか、まだ迷っている」

「お渡しになったからには、私が使い方を間違えるとは思っていないのでしょう」

クリストフは返事をしない。代わりに御者へ合図し、車輪が回り始める。彼の指がひざの上で一度、組まれた。

「使い方を間違えなければ、の話だ」

王都別邸への道中、二人はそれ以上何も話さなかった。リーゼロッテはスカートの隠しへ封筒を押し込み、振動のたびにそれが足へ触れるのを確かめた。名簿の紙の角が、布越しに心臓の真下を指していた。

夕刻の王宮第二皇子執務室に、副官が茶会予定表を差し込んでくる。レオンハルトは羊皮紙の束を指で追い、黙ったまま二枚目で手を止めた。

「教会派の提出者名簿と一致しないのは、出席予定者の欄だけか」

「毒見役だけ別扱いになっております。教会側からは聖女候補の名が挙げられておりましたが、予定表には——」

「エルトベルンの姓でもあるのか」

副官は答えず、ばらばらの紙片を机に並べ直した。レオンハルトは手の甲で額を押さえ、目を閉ざす。その瞬間、昼の光とは異なる白い光がまぶたの裏に走る。

石の台。群衆。自分の指が、誰かの細い手首を捕まえている。骨の形がはっきりわかるほど強く。相手は叫ばない。振り向いて、笑う。血の色に染まった唇の端で。

「殿下?」

副官の声で視界が戻る。レオンハルトは机へ片手を突いていた。眩暈が背骨の下から這い上がり、声帯を締める。

「出席者全員を王宮監査官へ提出しろ。教会には見取図を渡すな」

「旧時計塔の見取図の件、やはり教会派へは伏せますか」

「当たり前だ。提出先は監査官だけにしろ。これ以上、茶会の名簿を教会の手で塗り替えさせるな」

自分の声が少し強い。副官が一礼して部屋を出るまで、レオンハルトは開け放った窓の外も見ずにいた。手のひらに残る幻の熱が、彼女の縋る指の形を握り返してくる。

夜になって別邸へ戻ると、私室のランプへ先に火が入っていた。エルナが一階から小さな銀盆を運び上げ、その上に藁色の封蝋が一つ。教会派の紋が押されている。

「お嬢様、先触れが。開けずにお持ちしました」

リーゼロッテは受け取り、封を剝がす。一枚きりの厚い紙には、毒見茶会の段取りが流麗な筆記体で記されていた。自分の名が「毒見役筆頭」と明記されている。その下の出席者欄はまっさらな空白のまま、空いた枠だけが広がる。

左の鎖骨の下が、ちくりと灼けた。青白い光の痛みに似た傷みが広がり、リーゼロッテは封筒を床へ落としそうになる。片手で胸元を押さえ、呼吸を短く刻んだ。

「お嬢様」

「触らないで。今のは違うの」

声が震えるのを、彼女は唇を噛んで押さえた。エルナの手が迷子のように宙へ浮き、すぐに下ろされる。

「エルナ。茶会の者たちには誰も返事をさせないで」

「はい。どなたから何が来ましても、すべてお嬢様のもとへ」

「置いてあるものも見せない。あなたに口出ししてきたら、私の名を出しなさい」

エルナは深く頷き、銀盆を抱えて扉の向こうへ下がろうとした。リーゼロッテは鍵付き文箱を引き出し、招待状と封蝋の断片を内側へ滑らせる。父から受け取った封筒も、鍵の隣へ置いた。

小さな鍵が回り、ふたの縁が沈黙する。

その時、階下から足音がして、私室の扉のすぐ外で止まる。エルナが振り返るより早く、扉が三度、重く叩かれた。

「女学院監督官の者です。エルトベルン公爵令嬢にお話が」

外の声は若い。だが発音が整いすぎていて、夜の別邸へ響くには軽すぎる。エルナがリーゼロッテを見た。彼女は文箱から手を離し、襟元を正す。

「エルナ、扉の向こうを」

「私が先に」

エルナは小さく首を振り、扉の前へ立つ。背丈よりずっと低い位置で、ノブの真鍮がランプの火を吸った。

処刑の朝に十年前へ戻った悪役令嬢が、今度こそ婚約破棄を選んだのに、断罪した第二皇子が手放してくれない第2話 毒見役の静かな一撃