FeverStory

荷物持ちの少年だけが読める迷宮の落書きで、俺は最強の探索者になる

第2話 青い熱と朱印の罠

血の跡が乾いたガーゼの中で、まだ手のひらが熱を持っていた。翌朝、十四層の入口前に立つと、セリアは俺の顔を一瞥してから短く言う。

「てめえの観察力、十三層では無駄じゃなかった。今日は足元の罠にどこまで気づくか試させてもらう」

「試験なら、落ちたら死ぬぞ」

「荷物持ちが死ぬような場所へは連れて行かない」

彼女はそう言って剣帯を締め直した。隠し通路へ下りる石段は、朝の湿気で滑る。俺は背負い荷の木枠を肩に食い込ませ、一歩ごとに床の沈みを確かめながら進む。しばらくして、左の荷がほんのわずかに重くなった。足元の砂が、呼吸に合わせて沈む。

「止まれ」

セリアが振り返る前に、俺は右手で壁を支え、左足を引いた。

「三歩先、床の継ぎ目が他より黒い。油を含んだ砂が敷いてある。加重式だ。体重で踏むと下の噴気穴が開く」

セリアは剣を逆手に持ち、鞘の先で継ぎ目を叩いた。ぷす、と小さく白い蒸気が噴き出す。

「見事だ。これで隠し通路の罠は二つ目か」

「数えてるのか」

「当たり前だ。パーティを組むなら、てめえの目が資産になるかどうか見極める」

彼女は安全な足場を指示し、細い通路の中腹まで進む。互いの観察を認めるには、まだ距離があった。だが十三層の蟲穴で後ろから俺の声に跳んだ剣士は、いま目の前で俺の指摘に剣を預けている。それだけで、今日は来た甲斐がある。

突如、背後で岩が軋んだ。振り返るより早く、足元の床が抜ける。

「セリア!」

俺は背負い荷ごと後方へ跳んだ。彼女も通路の縁を蹴って、崩れる床の反対側へ転がる。入口側の天井が音を立てて落ち、土煙が二人を包んだ。

「無事か」

「右肘を打った程度だ。出口は」

「塞がった」

土煙が薄れると、岩壁に囲まれた閉鎖空間が姿を現す。数歩先の壁に、青白い文字が浮かんでいた。読める。正確に読み上げると、その階層に限り、文言どおりの現象を上書きできる。

『荷物持ちの足音だけが正しい方へ導く』

俺は立ち上がり、壁へ近づいた。セリアが片手で剣を握り、背後の崩落口を警戒する。

「また読むのか」

「脱出にはこれが要る。足音で薄い壁を探す」

「やれ。私が後ろを見る」

声に出して読んだ。くぐもった音が、閉じた空間に反響する。直後、頭の芯が強く脈打ち、鼻の奥から鉄の味が広がる。一筋、鼻血が垂れた。視界の端が青く明滅する。だが耳だけが妙に冴えていた。俺は背負い荷を外し、床に落とす。重い木枠の音が、右前方でだけ壁の向こうへ抜ける。

「右の壁が薄い。叩けるか」

「任せろ」

石喰い蜥蜴の嘶きが、崩落の奥から響いた。セリアは折れた父の剣の柄を腰から握り直し、半身を後方へ向ける。

「先に行け。殿は私がやる」

「無理だ、片腕で」

「てめえに心配されるほど弱くない。薄壁を崩せ、荷物持ち。私を出せ」

蜥蜴の爪が岩を削る音が近づく。俺は荷縛帯で肩を固定し、背負い荷を振り子のように使って薄壁へ叩きつけた。一度、二度。三度目で壁が砕ける。セリアは蜥蜴の突進を剣でいなし、折れた柄の重みで横に流しながら落石の影へ後退する。

「行くぞ」

「ああ」

俺は先に壁の向こうへ抜け、彼女が追ってくる。落石が追撃の足を断ち、石喰い蜥蜴の嘶きが遠ざかる。十四層の通常通路へ転がり出て、二人とも荒い息を吐いた。セリアの右腕を蜥蜴の爪が裂いていた。血が指先から滴る。俺の鼻血も、まだ止まらない。

「戻るぞ。立てるな」

「てめえこそ、顔がひでえぞ」

彼女は服の内側の布を引き裂いて、自分で右腕を縛った。それから俺の鼻の下を拭い、背中を押す。

「十四層は落盤で通行不能。ギルドへ報告する」

ギルド救護室でセリアの右腕は縫合された。俺は経過観察の名目で短く横になり、読解の負荷が抜けるのを待つ。昼過ぎ、受付カウンターへ行くとナージャが待っていた。

「二人とも無事でなによりです。ただ、まあ、面倒な紙が届いておりました」

彼女は視線で未処理の箱を示す。貴族派閥の紋章が押された妨害届だった。

「書式不備です。差し戻します。それから先に、こちらへ署名を」

仮パーティ登録書と、リクトのD級昇格申請書が並ぶ。セリアが先に署名し、俺もペンを取った。

「よいのですね」

「ヴァルムシュタット暫定パーティ、構成員二名。D級探索者リクト。私の裁量で受理します。妨害は書式修正に時間がかかる。なにせ三箇所も間違っていますので」

ナージャは眼鏡を押し上げ、薄く笑った。D級探索者認可札が手のひらに載る。昨日までの自分とは違う重さだった。

午後、ダンが私室へ二人を呼んだ。壁際の机に座り、鍵付き引き出しへ手を置く。開けはしない。

「見せはしない。だが、足を引っ張る者がいても記録は残してある。それだけは覚えておけ」

「どういう意味だ」

セリアが低く問う。ダンは手を引き出しから離し、膝を軽く叩いた。

「貴族派閥がお前たちの仮パーティ界隈に干渉してきている。まともな昇格なら、あんな妨害は来ない」

「もう差し戻した」

「ああ。次はもっと綺麗な書式で来る。その前に、一つ調べておきたい」

そのとき扉がノックされ、ナージャが書類を差し入れた。

「第18層再測量命令書よ。青い隊章の者だけに通達されているわ」

全員が机の上を覗き込む。指定された安全経路の末尾、朱印の位置が他の印影とわずかにずれていた。判を押すとき、紙の裏に何か挟んだような形で滲んでいる。

「この経路、おかしくないか」

セリアが朱印の縁を爪でなぞる。

「不自然な朱印ですね。通達内容と印影の角度が合っていません」

「誰が流した」

「それは、いまから調べる」

ダンは命令書を折りたたみ、もう一度引き出しへ手を置いた。指先が鍵に触れる。だが開けない。代わりに、ナージャが複写した分だけを別の封筒へ入れて、俺へ差し出した。

「第18層へ向かうなら、この写しを持って行きなさい」

封筒を受け取ると、窓の外で日が傾いていた。遠くで、ギルドの馬車が石畳を鳴らして走る音がする。俺は認可札を握り直し、複写の封筒を荷物へしまう。セリアが隣に立ち、右腕の包帯の上から剣帯を締めた。

「次は十四層の落盤処理と、十八層だ」

「どっちが先だ」

「再測量だよ。あの朱印を、現場で確かめる」

彼女の横顔には、もう迷いがなかった。俺が荷を背負い直すと、ダンが引き出しに手を置いたまま、俺たちに背を向ける。

「無茶はするな。だが、引くな」

その沈黙の奥に、まだ何かある。けれど、いまの俺には封筒の重さと、手のひらの青い熱が、同じくらいの重さで残っていた。

荷物持ちの少年だけが読める迷宮の落書きで、俺は最強の探索者になる第2話 青い熱と朱印の罠